V6解散、小室離婚で告白 パークマンサー農家転身の激動19年
画像を見る もともとダンサーだったというパークマンサー

 

■上戸彩に振り付けを教えていたダンサー時代

 

パークは、もともとダンサーだった。EXILEや三代目 J SOUL BROTHERSなどの人気アーティストを擁するLDHに、前身会社の立ち上げから参加。上戸彩(35)がアイドルグループ・Z-1に所属していたころ、振り付けを教えていたという。

 

「僕は全然、おもしろキャラじゃなかったんです。地元の富山でダンスをしていて、上京して。通っていたダンススクールの師匠がLDHの前の事務所を立ち上げて。師匠はHIROさん(51)の弟分で。それでHIROさんに師匠のモノマネをしたら、『すげー面白いじゃん!』って。

 

当時の僕は、ダンスのオーディションに落ちてばかりでした。でもHIROさんが笑ってくれたことで、『認められた!』と思って。居場所を見つけたんです。ちょうどその頃『学校へ行こう!』のオーディションがあって、勢いで受けたら合格しました」

 

『学校へ行こう!』出演時を回想し、「当時は僕が出演すると、瞬間視聴率が5%も動いていたらしいです(笑)。地方営業とかしていたら、億プレイヤーになっていたと思います」とパークは話す。

 

しかし彼は『B-RAP』が終わると、俳優の道へ。

 

「月9に3年連続で出演しました。でも、セリフが5行とかなんですよ(笑)。他にもエキストラをしたり、劇団に入ったり。でも役者だけでは食っていけない。稽古して、バイトしてっていうのを11年間、繰り返していました」

 

V6解散、小室離婚で告白 パークマンサー農家転身の激動19年
画像を見る 『B-RAP』が終わると、俳優の道へ進んだパークマンサー

 

すると、15年に転機が訪れた。『学校へ行こう!』スペシャルで軟式globeが登場したところ、ネット上でバズったのだ。

 

「レギュラー放送のときと違ってSNSを通して直接、反応を見ることができたんです。それが嬉しくて。Twitterのフォロワー数も2万人以上増えましたし、1年くらい営業で食いつなぐこともできました」

 

しかし、喜びも束の間。次第に思い悩むようになっていったという。

 

「営業のギャラ単価が良かったので、仕事を2本するだけで1カ月は暮らせたんです。でも僕のやってることって、“出オチ”と一緒。1回やれば300人集まるけど、それでおしまい。やればやるほど、そのことを痛感していくんです」

 

実際、仕事量は激減。働くのは月1日だけで、後の30日は“暇つぶし”という日々が続いた。

 

「精神的に病みましたね。自分磨きとか、何をする気にもなれなくて……。ずーっと寝転がって、韓流ドラマを観ていました」

 

そんなある日、陶芸にチャレンジしたパーク。ふと、「このお皿に乗せる野菜を作りたい」と思いついた。

 

そこで農業に目覚め、富山へUターン。現在は、生計の大半を農家として立てているという。

 

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