■母が倒れても酔っぱらっている父
「『お母さんが倒れた』と電話しても、親父は酔っぱらっていて。怒鳴りつけるとようやく状況を理解して駆け付けてきました」
2人の願いはかなわず、病室で心電図の波が一本の直線になった。
「親父は泣かずに、おふくろの髪を指でそっと一本一本手ぐしでとかしていって。僕も医師もいるのに、おふくろの後頭部を抱いてキスをしたんです。まるで母が生きているかのように。親父がいかにおふくろのことを愛していたかが伝わってきました。その瞬間から、親父には僕はもう何も言えないと思ったんです。僕にはわからない、2人の長い人生があったのだと」
須美子さんは、亞門さんを出産するときの輸血で肝炎を罹患した。
「その影響で、母は年を重ねるごとに具合が悪くなっていきました。それでも母は『1秒もムダにしたくない』と、人生を大切に生きる強い女性でした」
そんな母は生前、亞門さんにこう説いたという。
「舞台の演出家になりたいなら、本物が集まるブロードウエーで磨いてきなさい。すべてを見なさい。目を閉じちゃだめーー」
その言葉が、亞門さんにニューヨーク行きを決意させたのだ。
また当時、妻を亡くし気力を失った父は、息子のアパートに転がりこんでいた。愛妻を亡くして以降活力がない父の姿を見て、「一緒にいるとお互いのためにならない」という思いもあったという。
出発の日、成田空港まで見送りに来た父と抱き合った。そのとき、小さなメモを手渡された。
「そこには『人生、悩むには短すぎる』と書いてありました。悩むために生まれたんじゃない、自分なりに精いっぱい充実した時間を過ごすことで、人は“生きててよかった”と思えるのだと。親父のメッセージが胸に響きました」
その後、亞門さんは’87年に演出家デビュー。
’04年にブロードウエーで演出を手がけた『太平洋序曲』がトニー賞にノミネートされるなど、国内外で活躍の場を広げていった。