高島礼子「バブル時代が一番貧乏…」カーレーサー時代の困窮生活
画像を見る 極彩色の羽付き帽子姿で歌うユーミン

 

■乗りもの愛が高じて、高校卒業後はアマチュアレーサーに

 

高校を卒業後、いっそう“乗りもの”にのめり込んだ高島さんは、自動車関連会社に就職。

 

「総務部総務課という、車とはほぼ関わらない部署でしたけど(笑)。並行してアマチュアレーサーとしての活動も始め、21歳のときに国内A級ライセンスを取りました。ただ、レースは夢中になればなるほど、お金が出ていく一方で……。世の中が好景気に沸き上がったバブル時代が、いちばん貧乏だったかもしれません」

 

レースの資金稼ぎのために始めたキャンギャルがきっかけとなり、芸能事務所に所属し、’88年、女性のための転職雑誌『とらばーゆ』(リクルート)のCMに抜擢。その姿がテレビ局のプロデューサーや松平健の目に留まり、’89年、25歳のときに、父が見ることを許してくれた希少なテレビ番組『暴れん坊将軍』で、女優デビューを飾ることになる。

 

「レースではどんなに頑張っても男性の腕力や気力、オタク度に勝てず、限界を感じていて。この先、どうやって生きていこうと考えていたところでした。厳格な父も本来なら芸能界入りに反対したのでしょうが、声をかけてくださったのが、あの“暴れん坊将軍”ですから。拍子抜けするほど賛成してくれました(笑)」

 

以来、ドラマや映画、舞台など、多方面で活躍。8月20日からは、被爆した長崎・浦上天主堂のマリア像を軸に、平和への願いが描かれた映画『祈り—幻に長崎を想う刻—』が公開される。

 

「映画は、お客さんが選んで、お金を払って、時間を作って、来てくださるもの。だからこそ、演じる側としては、瞬きひとつにも気持ちを込めたい。そう思えるのも、ユーミンの唯一無二のステージを、毎年、見てきたからかもしれません」

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