■父の背中の映画にかける“本気”を見て、「映画監督になります」と宣言
父の奥田さんは、俳優のキャリアとしては、伝説のトレンディドラマ『男女7人夏物語』(’86年)出演などで“当代きってのモテ男”といわれ、芸能界の真ん中を歩いてきた。
「ブイブイいわせていた」当時は、よく泥酔して朝帰りしていたという。
桃子さんは「家庭や日常生活に『役』を持ち込む」父の背中をみて育ってきたのだ。
「仕事も、遊びも、私たちを叱るときもつねに、父は“本気”だったんです。その姿を見て育った私が、そこに感じたのは“愛”そのものでした」
その言葉通り、桃子さんは父が紡ぎ出す作品や仕事ぶりに“愛”を感じ取っていく。
’01年、父の初監督作品『少女』の1カ月にわたる欧州各国プロモーション活動に参加した後のこと、飛行機の客席で、父の演じた主人公の切ない顔が思い浮かんで「涙がこぼれ始め、嗚咽に変わってしまった」という。
「監督としての父の背中を目撃して、初めて心底、父を尊敬した。そしてその数カ月後、父に勇気を出して『映画監督を志します』と宣言しました」
奥田さんは「わかった」と一言だけ発したのだという。
思うに父・奥田瑛二の「七光り」とは、手を差し伸べることなく「すべてを見せること」なのだろう。
役柄に寄せて変わる父の立ち居振る舞い、事業に失敗して丸めた背中、すべてを投げ打ってフィルムづくりに取り組む情熱……カッコいいときも、カッコ悪いときも、すべてを父の背中と作品を通して、桃子さんは感じ取ってきた。
だから、あのロンドンでの極貧生活さえも、映画監督になるための糧にできたのだろう。いや、どこかで楽しんでさえいたのではないか。
以前、父の奥田さんにインタビューしたとき、こんなことを言っていたのを思い出した。
「よく『親の七光り』と言うけれど、好んで面倒をみる親の子は、ぜんぶ潰れていくよ。いま生き残っているのは、そういうのがなかった二世だけだよね」
奥田さんは、手を差し伸べたくて、もどかしい気持ちを抑えて「無視を決め込んできた」と語ってくれたものだ。
だからか、桃子さんは父と同じ「監督業」でデビューしながら、父とは違う立ち位置で、高知県に母子で身を置き、独特のアプローチで注目を集めている。
「2作目の監督作品『0.5ミリ』(’14年製作、安藤サクラ主演)を全編、高知ロケで撮ったのは、直感で決めたんです。ミジンコや畑の土、抽斗のハンカチ、宇宙人のような俯瞰もあれば、あらゆる視点に立たなければいけないのが監督の仕事。その感覚が高知にいると鍛えられるし、なにより高知人にはエネルギーがみなぎっている」
気になる次回作の構想はまだ明かしてくれないが、楽しみで仕方がない。
最新エッセイの文字にそのヒントを探してみるのも、一興ではないだろうか。
(取材・文:鈴木利宗/撮影:高野広美)