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住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、アイドルの素顔が見られた話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。

 

「’15年に中野サンプラザ(東京)で開催された『ヤンヤン歌うスタジオ』(’77~’87年・テレビ東京系)の復活コンサートに、私も呼んでもらったんです。早見優さんや松本伊代さん、渋谷哲平さん、香坂みゆきさんなど懐かしいみなさんとお会いできました。デビューしたてのころ、下宿先のおじさんと大ゲンカして家出したとき、行くところがなくて、みゆきさんの家に泊めてもらったのを、ふと思い出しました」

 

’80年代のアイドルが出演していたバラエティ番組には、楽しい思い出も、苦い経験も詰まっているというのは、歌手の桑田靖子さん(54)。

 

「小1のとき、地元商店街が開催するのど自慢大会で、初めて人前で歌ったのですが、優勝したことが大きな成功体験になりました」

 

小4の夏休みには、地元・福岡のテレビ局のちびっ子のど自慢番組にも出場。クラスメートからは“歌がうまい”と認知され、学校の行事では桜田淳子や山口百恵、キャンディーズ、ピンク・レディーの曲を披露した。

 

「そんなこともあって、自然と歌手を目指していました。『カックラキン大放送!!』(’75~’86年・日本テレビ系)のコントで、野口五郎さんが演じていた、赤いカーディガンを肩からかけたテレビ局のディレクター役を見て、“テレビ業界って、華やかなんだろうな”って憧れたりして」

 

転機が訪れたのは、松田聖子がデビューを飾った’80年。

 

「『福岡音楽祭』で優勝したんです。同じ年に文化放送主催の『全日本ヤング選抜スターは君だ』でも優勝したのがきっかけとなり、いくつかの芸能事務所からお声掛けいただきました。母から『聖子ちゃんがいるサンミュージックからも話が来ている』と聞いたときはもう、『絶対にそこがいい!』って、入れるように祈りましたね」

 

念願かなってサンミュージック入りした桑田さんは、中2で上京。ある日、新宿駅で、同じ事務所の1年先輩でもある早見優がイメージキャラクターを務めたペンタックスの大きなポスターが、何枚も貼られているのを目撃する。

 

「優さんは何をやっても“アメリカン”で、私と同じ堀越高校の制服を着ていても全然違うんです。優さんは『バスボン ヘアコロンシャンプー』のCMでもすごくかわいくて、“これが1年後の私”と想像をふくらませていました。……でも、1年後の私には、CMの仕事なんてまったくありませんでしたけどね(苦笑)」

 

とはいうものの、’83年に『脱・プラトニック』でデビューした桑田さんは、憧れの先輩・聖子と同じ舞台に立つ貴重な経験もした。

 

「デビュー当時は聖子さんとの抱き合わせ的な仕事をいただくことが多かったのですが、聖子さんのリハーサルの時間は、楽屋で待機せず、必ず客席で歌を聴くようにしていました。新曲がファンより早く聴けるのがうれしかったし、何より刺激になったのです。文化放送のイベントで、初めて武道館のステージに立ったときには、すごく広い楽屋を聖子さんと共同で使うことに。聖子さんは『おいで、おいで』と鏡の前に私を座らせて、メークをしてくださいました。聖子さんにはたくさんのお花やお菓子の贈り物がきていて、『どんどん食べてね』って勧めてくださったのを覚えています」

 

当時はアイドル歌手として、なかなか活躍できない焦りやいら立ちがあったという。

 

「1年先輩の“花の’82年デビュー組”がすごい人気で(笑)。アイドルの水泳大会でもメインで歌うのは’82年組で、私たち’83年組が歌う姿は、競技の映像の隅っこのほうで小さく“ワイプ”扱い。そのうち’84年デビューでチェッカーズや荻野目洋子ちゃん、吉川晃司くんといった、個性的な人たちが出てきてしまい、その間に挟まれた感じです」

 

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