まだまだ“女性の就職は結婚までの腰掛け”などと言われていた時代。寺田さんも就職活動に熱心になれないところもあった。
「卒業後はアルバイトでもして暮らしていこうなんてのんきに考えていたのですが、大学4年の夏、就職課の前を通ったときに、フジテレビの『アナウンサー募集』の張り紙が目に入って」
絶対無理だと思いつつも、試験を受けてみると、結果は合格。最初は2年間の契約社員としての採用だったが、2年目に『オレたちひょうきん族』(’81〜’89年・フジテレビ系)の人気コーナー『ひょうきんベストテン』の、2代目“ひょうきんアナ”に抜擢された。
ちょうどその時代、寺田さんがよく聴いていたアルバムが、ユーミンの『REINCARNATION』(’83年)と、『DA・DI・DA』(’85年)だ。
「色褪せることがないユーミンの曲は、クラシック音楽のように、繰り返し聴いていました」
思わぬ幸運が舞い込んだのも、ひょうきんアナ時代。
「ユーミンが『ひょうきん族』がお好きだったこともあるかもしれません。番組スタッフが『関係者用のチケットがあるよ』と私に譲ってくれたんです。これがものすごくいい席! だったのですが、まわりは大スターや、テレビ局の偉い人ばかりで、新人アナの私はすっかり緊張してしまい……。残念ながら、コンサートの内容がまったく記憶に残っていません(笑)。ただ、コンサート後の関係者向けのパーティだったと思うのですが、ユーミンと松任谷正隆さんのトークコーナーがあって。結婚してもご夫婦一緒に仕事をするなんて、すてきだなと思ったし、羨ましいとも思いました」
その後、フリーとなった寺田さん。長女を出産後、すぐに仕事復帰し“ママアナ”として活躍したのも、ユーミンのそんな姿を見ていたからかもしれない。
さらに年齢を重ねると、今度は親の介護などに追われる日々が続くようにーー。
「50歳前後は、認知症を患う母の介護が始まり、父が亡くなり、そして’12年末、直前まで会話をしていた夫が倒れて急逝。あまりのショックで体調を崩し、家からも出られず、人とも会いたくない時期が続きました。大好きな音楽も、とても聴く気になれなくて……」
傷心のなか、たまたま見かけたのが、ユーミンのコンサート開催を告知する広告だった。
「たぶんダメだろうと、予約の電話をかけてみると、なんとすぐにつながったんです。“これは娘2人を連れていって、楽しかった私の青春時代を共有したい”って思いましたね」
それまでに見に行ったコンサートと比べ、より未来志向の明るくなれる曲ばかりだと感じられた。
「ユーミンから“もう一回、頑張ろう”という、第二の人生を歩み出す勇気をもらいました。音楽の力ってすごい! 大好きな曲を生で聴くと、ホルモンなどにもよい作用があるんじゃないですかね。元気になれました」
ユーミンは、どんなときも寄り添い、励ましてくれるのだ。
【PROFILE】
寺田理恵子
’61年、東京都生まれ。’84年にフジテレビに入社し、『オレたちひょうきん族』の2代目“ひょうきんアナ”として人気を博す。現在はフリーのアナウンサーとして活躍中。近著に『「毎日音読」で人生を変える』『60代、ひとりで前向きに生きる』(ともに、さくら舎)がある