■ニットのボディコンに、ショッキングピンクのバッグを合わせて
「世はバブル経済全盛期で、女子大生ブーム。まわりはみんな『JJ』から抜け出したようなファッションでしたが、私は本流から少し外れていました。当時ははやり始めで、まだマイナー感があったヒップホップやレゲエ、ワールドミュージックが好きで、ラッパーみたいなファッションをしていたんです。すこぶる評判が悪かったですけど(笑)」
サークルも人気のテニスやオールラウンドではなく、オタク要素の強い朗読研究会に所属。
「朗研は、『安寿と厨子王』や『平家物語』などを説教節で朗読したりする、アニメ研と並ぶくらいオタク度の高いサークルでした」
女子大生ブームの大波に乗り切れない大学生活を送っていた近藤さんの元にも、ディスコへの誘いがあったという。
「“そっち側”の人間ではないと感じつつ、“ちょっと、どんなものか見ておかねば”と探求心も芽生えて(笑)。でも、TPOを考えると、ラッパーみたいな服装で行くわけにもいきません。そこで、のちに“お立ち台の女王”といわれた荒木師匠(荒木久美子)のような、ボートネックになっているニットのボディコンを、人気ブランド『ピンキー&ダイアン』で、5万円ほどで購入。仕送りが家賃も合わせて10万円だったので、まさに一張羅でした」
“いいオンナ”の象徴だったダブル浅野を参考にワンレンにし、ショッキングピンクのバッグに、黒のハイヒールを合わせ、夜の六本木に繰り出すとーー。
「初期のディスコは、フォークダンス的要素もあって、盆踊りのように輪になって踊ったりするものだから“日本人っぽいね”とゲラゲラ笑ったり。はやりの音楽を聴き、◯◯フィズとかいうかわいらしいお酒を飲みながら、バカ話。時にはナンパされたり。非常に内向的で特殊な空間に感じましたが、それはそれで楽しくて、思ったよりも居心地がよかったですね。田舎育ちで何も知らないまま上京して、吹けば飛ぶような存在だった女子大生の私にとって、同じ属性や年代の仲間と一緒に過ごす安心感、“ここの住人なんだ”という意識も与えてくれたように思います」
大学卒業後、フジテレビのアナウンサーになった近藤さんにとって、貴重な体験となった。
「在学中はNHKでアルバイトをし、レポーターも体験。勉強はあまりせず、朗読にヒップホップといった、ちょっと偏った趣味を持っていました。学生らしさに欠けていたところもありましたが、ディスコに出入りし、流行の中に身を置いたことで、バランスがよくなったのかもしれません」
だからこそ、幅広い情報を扱うマスコミ業界に飛び込み、活躍することができたのだろう。
【PROFILE】
近藤サト
’68年、岐阜県土岐市生まれ。’91年、フジテレビに入社し、アナウンサーとして報道番組や情報番組で活躍。’98年のフリー転身後は、ナレーションも数多く担当している