島谷ひとみ「このままじゃ帰れない!」国仲涼子と励ましあった“どん底”デビュー前
画像を見る 恥ずかしくて「歌手なりたい」と言えなかった学生のころの島谷さん

 

■広瀬香美からのデモテープを聴いて自信喪失気味に

 

そんなある日、『THE夜もヒッパレ』(’95年~’02年・日本テレビ系)に、上京当時は寮仲間だったFolderが出演しているのをテレビで見る。寮生たちは、次々にデビューして一人暮らしを始めていった。

 

「最後まで寮に残っていた私と涼子ちゃんは『いつまで頑張ればいいんだろう』と落ち込んで泣いたり、お互い島育ちの田舎者なので『このままじゃ帰れない』と励まし合ったりしていました」

 

ようやくデビューを飾れたのは上京してから2年後。曲はテレビ番組の企画で島田紳助氏がプロデュースした演歌『大阪の女』(’99年)だった。

 

「演歌なので“なんのためのダンスレッスンだったのか”とも思いましたが、どんなジャンルでもデビューできるのはうれしくて。涼子ちゃんもすごく喜んでくれました」

 

翌年にはポップスへ転向。ジャネット・ジャクソンの曲をカバーした3枚目のシングル『パピヨン』(’01年)が話題となった。

 

そしてシャンプーのCMに出演する際、監督から「ちょっとこれを鼻歌で歌ってみて」と言われた曲が、のちにシングルリリースされて最大のヒット曲となる『亜麻色の髪の乙女』(’02年)だ。

 

“歌手としてやっていける”と自信を得たころ、広瀬香美から『Remember of you』(’02年)や『赤い砂漠の伝説』(’03年)など、計3曲もの楽曲が提供された。

 

「とにかく驚いたのは、デモテープにご本人の弾き語りが入っていたこと。しかも、メロディを『ラララ』と口ずさんでいるものが多いのですが、広瀬さんはすべて『ドレミ』で歌っていました。“天才だ”と思うのと同時に、“私よりも広瀬さんご自身が歌ったほうが、絶対いい”と自信喪失気味になりました(笑)。でも、まさか憧れの人から曲をいただけるなんて……。夢を描いてイメージすれば、道は切り開かれるものだと実感しました」

 

【PROFILE】

島谷ひとみ

’80年、広島県生まれ。瀬戸内海の倉橋島で育つ。’97年、約20万人が応募したオーディションに合格し、’99年に演歌歌手としてデビュー。’02年の『亜麻色の髪の乙女』が、その後のカバー曲ブームをけん引する大ヒットに。’22年7月、35枚目のシングル『Mystic World』を発売

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