鳥居みゆき 友達はいないけどウォーリーを探す達人だった
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■“ウォーリーは殺人鬼”という都市伝説も

 

そんな独自の遊びの延長線上にあったのが『ウォーリーをさがせ!』だった。

 

「吉祥寺に行けば、ウォーリーと同じ赤と白のボーダーシャツを着た楳図かずおさんがすぐに見つかるのに、絵本の世界ではなかなか見つからない。これがすごく面白くてハマりました。ウォーリーにはペアルックをした恋人がいるし、同じような格好をした25人の“親衛隊”の子どもたちもいます。そういうウォーリー以外の登場人物を探す喜びもあるんです」

 

ところが、黙々とウォーリーを探していると、“何のために探しているんだろう”という気持ちになることも。

 

「そういうときはいろいろ想像したくなるんです。そもそも妄想が好きで、私だけ重力がかかる世界だったらとか、地球が滅びて私だけ地下シェルターにいたらとか考えていました。本も、タイトルと最初の1行だけしか読まず、ストーリーを想像していました」

 

だからこそ、ウォーリーの世界観にも入り込み、空想に耽った。

 

「もともと、ウォーリーが殺人鬼という都市伝説があったんです。たしかにウォーリーにつきまとう“親衛隊”の子どもたちが存在するから、もしかしたらハーメルンの笛吹き男のように子どもをさらっているんじゃないかと考えてみたり。いったいどこに連れ去るのか。それで何をするのか……。いや、恐ろしいので、これくらいでやめておきましょう。とにかくいろんな想像を掻き立てられたおかげで、飽きずに続けられました」

 

数多くのウォーリーを探し当てたことで、身につけた技も。

 

「当時、ぼんやりと眺めると絵が立体的に浮かび上がるステレオグラムが流行っていました。それと同じように、絵本をぼーっと眺めていると、ウォーリーだけがピンク色に浮かび上がってくるんです!」

 

こうした裏技でウォーリーを探しては、マジックで囲んでいったのだが、正月に遊びに来た親戚から「ウォーリーがすぐ見つかる」とクレームが入った。

 

「そのため、あらゆる場所に丸をつけてごまかすことに。私が隠したウォーリーを探す本になってしまいました」

 

高校生になると、興味はウォーリーからファッションへと変わっていった。

 

「ルーズソックスが流行っていたのですが、みんなと同じことをしたくない私は、裸足に革靴。ところがあるとき紺のハイソックスをはいてみると、同級生から『え、それ、かわいい』と言われて。ルーズソックスの後に紺のハイソックスが流行りましたが、地元の埼玉県行田市では私が最初に考案して広めたもの、と勝手に思っています」

 

プリクラが流行ったときは、人生で初めて机のまわりにクラスメートの行列ができた。

 

「制汗剤をプリクラに垂らして拭き取ると、顔がにじんで歪むんです。その“悪魔加工”がウケて、みんなが加工を頼みに来ました。こんな経験は初めて。私が映っているプリクラは一枚もありませんでしたが」

 

友達はいなかったが、人に喜んでもらうことは楽しみだった。

 

「そんなときにたまたま寄席に行って、昭和のいる・こいる師匠の漫才を見たんです。自分を表現することは楽しいし、もしかしたら友達ができるかもしれないと思って、お笑いの道に」

 

たくさんの仕事と芸人仲間に出会い、今ではウォーリーを探す時間も少なくなった。

 

「たまにウォーリーを探したくなりますが、『ウォーリーをさがせ!』の本がどこにあるか探さなければならないはめに。あんなに夢中になった本なのに、いったいどこにいったのでしょうか?」

 

【PROFILE】

鳥居みゆき

’81年、秋田県生まれ、埼玉県育ち。白い衣装の“マサコ”がおなじみのピン芸人として活躍するほか、「臨死!!江古田ちゃん」(’11年・日本テレビ系)で主演を務めるなど女優としても活躍。発達が気になる子を楽しくサポートする『でこぼこポン!』(NHK Eテレ)にも出演中

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