■場所は変わっても音楽の聖地は守りたい
山口さんがひと目見てオーラを感じたというのがGLAYだ。鹿鳴館で行われた外部イベントの参加バンドの一組として演奏したのが、最初だった。
「うちのライブハウスではメタル寄りのバンドが多かったんですが、GLAYはBOOWYを彷彿とさせるビートロックで際立っていたし、その場で“単独でも演奏してほしいな”って思ったんです。一方、彼らは彼らで、北海道から出てきたばかり。メンバー内では『ローカルのライブハウスを転々としているだけでは売れない。名のあるライブハウスを本拠地にして活動しなければ』という話し合いがあったと聞きます」
だからこそTERU(52)やTAKURO(52)などのメンバーがデモテープを持って売り込んできたときは、ほぼ即決だった。GLAYも鹿鳴館を拠点にメジャーシーンに飛び立っていった。いまでも楽屋の鏡に貼られたGLAYのステッカーを剝がさずに残している。山口さんはステッカーをなでながら、思いを馳せる。
「最新の音響や照明機材をそろえているライブハウスはいくらでもあります。それでも、さまざまなバンドが鹿鳴館での演奏を夢見ています。40年以上続けていた場所は変わるかもしれません。でも“音楽の聖地”は守り続けます」
日本の音楽シーンを作ってきた伝説はまだ続く。