「紅白の司会は、あくまで“額縁”。“絵”である歌手の皆さんを引き立たせる役目。目立ってはいけませんが、ちゃんと存在していなければならないのです」
と語るのは元NHKアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーの宮本隆治さん。
NHKの入局試験を受けたのは『紅白歌合戦』の司会をやりたいから。45歳のときの、’95年から6年連続で総合司会をつとめた。その後も、’07年に定年で退職するまで、紅白チームとしてラジオアナウンサーの監督をしていた宮本さんは、まさに“ミスター紅白”。
そんな宮本さんの心に残っている「‘90年代の紅白歌合戦の名シーン」は?
■「一式7,500円」の鳥羽一郎の衣装に、「平常心で行く」覚悟を見た!
「初めて紅白歌合戦の総合司会をしたのは95年の第46回。子供の頃から、歌手のモノ真似が得意で、紅白の司会が夢でしたが、実際にその年の10月に司会の内示があってからは重圧に押しつぶされそうに。先輩アナの山川静夫さんからは『紅白だからと、いつもと違うことはやってはいけない』とアドバイスを受けていましたが、かなり浮き足だったまま本番に臨んだのです。
そんな舞い上がっていた僕に平常心を取り戻させてくれたのが鳥羽一郎さんでした。紅白歌合戦という舞台は非日常の世界。豪華絢爛な衣裳の歌手の方々が多いなか、鳥羽さんは、ねじり鉢巻きにTシャツ、ジーンズ、長靴という、いつも見慣れている姿であらわれました。漁村にいるオジサンそのものの衣裳一式で7,500円。
鳥羽さんの『オレは海の男だ。海の男の正装で行くんだ』という気概。その男っぷりに惚れましたね。舞い上がっていた僕の気持ちを『平常心で行くんだ』と気づかせてくれ、冷静さを取り戻せてくれました」
■思わず「バイアグラ」と……。故・中村勘三郎さんでさえ感じていた司会のプレッシャー!
‘99年の第50回。白組の司会は、この年、大河ドラマ『元禄繚乱』で主演をつとめた故・中村勘九郎さん(のちの中村勘三郎)。総合司会として、一緒にステージを作り上げた宮本さんが語る。
「勘九郎さんは、紅白の舞台であるNHKホールをあたかも歌舞伎座のように使いこなして、独特な雰囲気に飲まれることなく振る舞われていました。
そんな勘九郎さんでもかなり緊張していたのでしょう。故・西城秀樹さんの『バイラモス』という曲で出場していたのですが、それについて相談されたのです。真顔で『宮本ちゃん、“バイアグラ”と言ったらどうしよう』と、聞いてくるんですよ」
1986年の第37回で、白組司会の加山雄三が、初出場の少年隊の『仮面舞踏会』を、うっかり「仮面ライダー」と紹介してしまったことがある。それが勘九郎さんの脳裏にあったのかもしれない。
「実は、加山さんに罪はないんです。スタッフが本番前の加山さんの緊張を和らげようとして『加山さん、いいですか“仮面ライダー”と言ってはいけませんよ』というふうに、インプットしてしまったのです。それが頭に入っていたものだから、加山さんは“仮面ライダー”と言ってしまったわけです。
勘九郎さんに『“バイ”でひと呼吸おいてみましょう』と。勘九郎さんは、リハーサルではそのとおりにしましたが、さすがですね、本番では、絶妙の間で、『バーーーーイ、ラモス』と間違えずにおっしゃっていました。舞台袖に帰ってから、勘九郎さんからハグしてくれたことを覚えています。あの勘九郎さんでさえ、かなりのプレッシャーがかかっていたのでしょうね」
その後、勘九郎さんから送られた直筆のお礼の手紙は、今でも宮本さんの家宝になっている。