「女優を続けてほしい」とメッセージが…森口博子 涙で明かす中山美穂さんとの「FAX文通」
画像を見る 1996年、レコード会社社員の結婚披露宴に一緒に出席した森口さんと美穂さん(写真:本誌写真部)

 

■「女優を続けてほしい」美穂さんの言葉が自信に

 

当初はあまり交友のなかった2人。しかし、森口さんがバラエティタレントとしてブレークし、さらに9枚目のシングル『ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~』のヒットで1991年の『NHK紅白歌合戦』に出演したころから共演が増えるようになる。

 

「紅白のメークルームって、大部屋なんです。みんなで並んでお化粧をするんですが、美穂ちゃんと隣になって、その後も歌番組やドラマなどで共演を重ねていきました」

 

前述のFAXが始まったのもこのころだ。バラエティの人気者となり、多忙だった森口さんの体を、いつも2歳年下の美穂さんが気遣ってくれた。

 

「『忙しいですか。体、正常ですか? 人を愛してますか? 優しくて女性らしい博美ちゃんのこと、なぜかいつも気にかけています』というメッセージをもらいました。美穂ちゃんは私のことを本名の博美で呼ぶんです。本当に人の事をよく見ていてくれて心配りが素晴らしくて。

 

それに、美穂ちゃんはいつも私を外へ連れ出そうとしてくれました。食事会や一緒にロサンゼルスに旅行に行こうという誘いのFAXもありますね。でも、いま読み返してみると、どれもかなっていないんですね」

 

それほどに忙しかった。1992年からは冠番組の『夢がMORI MORI』(フジテレビ系)が放送開始。テレビでは明るく振舞っても、森口さんの心が悲鳴をあげていたことを美穂さんは見抜いていた。

 

「『心は元気ですか? 私は逆に繊細そうに見えて神経図太いけど、博美ちゃんは本当は繊細で寂しがり屋だって私もわかってるから。真逆なんだよね。大丈夫?』って。

 

普通、2回くらい断わったら、もう遊びに誘ってくれませんよね。でも、美穂ちゃんは何回も誘ってくれました。とても優しいんです」

 

忘れられない仕事がある。前述の『For You』で美穂さんと共演したことだ。

 

「私は洋服が好きで、ドラマでも毎日いろんなコーディネートをして現場に行ってたんです。でも、美穂ちゃんは、本当は着替えるのが簡単なスエットなんかで来たかったらしくて、後から『博美ちゃんが毎日おしゃれしてくるから、まずいと思って、私も前の日に洋服とかちゃんと決めて、ちゃんとして行かなきゃって、すごい焦ったんだよ』と言われて。『え! そうだったの!?』。かわいいなあって(笑)」

 

女優としての自信をくれたのも美穂さんだった。

 

「私は演じることに苦手意識があったんです。でも、撮影期間中に美穂ちゃんがFAXで『お願いがあるの。女優を少しずつでも続けてほしい』『本当にいいもの持ってるもの、それを生かそうとしてるもの』と伝えてくれてありがたかった……」

 

心の支えとなった美穂さんからのFAX。一方、美穂さんにも、森口さんからのFAXはかけがえのないものだったようだ。

 

「あるとき、美穂ちゃんは『このFAXが私にとって、今ビタミン』って書いてくれたことが嬉しくて。いつも気にかけてくれている美穂ちゃんの、元気のきっかけになっていたらしく……。

 

『博子ちゃんにだったら、なんでも聞いてもらえるみたいで』って。心のSOSも書いてくれていたし、私もつらいことや家族のことを色々と伝えていました」

 

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