「“まだ15年”だと思います」中村雅俊 故郷の女川を“大人の修学旅行”で支援…被災地に足を運び続ける理由
画像を見る 中村雅俊(写真:本誌写真部)

 

壊滅的被害を受けた女川は、生活の利便性を高めるために、住居や商店、行政サービスを集約するコンパクトシティを一から整備し始めたのだった。海に近い1階部分に商店街、少し高台になった2階部分に市役所や学校などの公的機関、そして3階部分にあたるエリアには住居が建設された。

 

「きれいで新しい町ができあがって、すっかりオレの知っている女川の風景ではなくなったけど、これが復興するということなんだろうと思います。ただ、あのころと変わらない女川も、しっかりと残っているんですよ」

 

東北の海沿いを車で走ると、津波の教訓から大規模な防潮堤が建造され、すぐ先の海がコンクリートで見えない地区があるという。

 

「ところが、女川からの海の景色は昔のまま。大規模な防潮堤を作らない選択をしたのは、女川らしいよなって思います」

 

海と共存する町を肌で感じながら、中村は育った。

 

「60年以上前ですが、海に入って1mも潜れば、ウニやアワビが取れました。海産物を積んだトラックが水揚げ場から加工工場に移動するときは、荷台が揺れると、積んだ魚が地面に落っこちる。その魚を焼いて食べたことも(笑)。

 

女川に海はつきもの。地元の人は甚大な津波被害に複雑な思いはあるものの、けっして海を憎んではいないんじゃないでしょうか」

 

被災地に足を運び目の当たりにした、精いっぱい生きる人々の姿からは、多くのことを学んだ。現在公開されている自身の初監督作品『五十年目の俺たちの旅』のルーツとなる作品『俺たちの旅』(1975年・日本テレビ系)のセリフが思い出される。

 

「オレが演じたカースケの口癖は『毎日を精いっぱい生きればいいのさ』。何十年も前に自分が口にしていたセリフだけど、たしかにそのとおりだなと。人生って、日々の積み重ねですから。震災を機に、この言葉の重さを痛感しました。いまでは中村雅俊の人生訓になっているんですよ」

 

震災を風化させないために、私たちにできることはなんだろうか。

 

「“もう15年”という声もありますが“まだ15年”だと思います。町に日常が戻ってきても、心の深い傷が癒えるまでにはまだ時間がかかるでしょう。先日、ナレーションの仕事で久しぶりに津波の映像を見て、あの日の感情が呼び起こされました。

 

みなさんにも、あの日に抱いた気持ちを、もう一度思い出してほしい。そうすれば震災に襲われたときの自らの行動、そして被災地に対する次の行動が変わってくるはずですから」

 

これからも心を寄せ続ける。愛する故郷が“心の復興”を遂げるまで――。

 

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