■「脅威を見落としてしまう。政治家もネタに乗ってくる」という弊害
ではプーチン大統領を面白おかしく消費してきたことに、弊害はあったのだろうか? そう訊ねると、伊藤教授はこう答えた。
「ネタ化するということは、単純なキャラクターとして見るということです。そこで、プーチン大統領の持つ“複雑さ”を見る目がそがれてしまったのではないでしょうか。
軍事侵攻したことで今、メディアはプーチン大統領のことを“おかしな人”として扱い始めています。ですが、政治という複雑な世界に長く身を置く人が、はたして“おかしな人”のままでずっといられるでしょうか。これもまた一つのネタ化と言えるでしょう」
さらに伊藤教授は、こう投げかける。
「ネタとして消費することで、プーチン大統領の複雑さを見なかった人もいるのでは。そうして、脅威を見落としてきた人も多数いるでしょう。その結果として、今の状況があるとも言えるのではないでしょうか」
さらに伊藤教授は「ネタ化することで、政治家が乗ってくるケースもある」と指摘する。
「世論がキャラ付けをすると、政治家はそのイメージに乗っかって人気を取ろうとします。そして世論はキャラクターを通じて、政治家を受け入れてしまう。いわゆる“イメージ戦略”ですね。ポピュリズムの政治家は、みんなそういうものです。
ネタとして面白がるうちに、恐れが中和してしまう。そうすることで、安心してしまう。すると、キャラクターにそぐわない部分は見えなくなる……。
政治家と世論の関係がキャラを通じてできあがるというのは、怖いことですよ。その背後で、色々なことが進んでいきますしね」