■ネタ化自体は問題ではない。それでも……
政治家は、私たちの生活に深く関係している。国のあり方や経済のこと。その思想に影響を受けることもあるだろう。そんな彼らをネタとして面白がったりキャラクターを通して認識することは、彼らの本質を見ないで理解することにも繋がるかもしれない。
「政治家をネタのコンテンツとして面白がること、それ自体を大きな問題とは思いません。何を面白いと思うのかは、人それぞれ。面白いものは、面白いのですから。
ただ“面白い人”として扱っていくにつれ、『もしかしていい人かも?』と好意的に思ったり。距離をとって面白がっているつもりでも、気づけばその政治家に没入していることもあるでしょう。“距離をとる”って、実は相当難しいことなんですよね」
政治家に関する情報に対して、いっそう慎重であるべきと言えるのかもしれない。
「政治は利害対立や様々な計算の上で成り立っており、複雑そのものです。国家に関していうと、それほど複雑なものを1人の指導者が調整しながら決断を行っています。ですから、それを単純化すると背後の複雑さが見えなくなってしまう。複雑なものを見続ける努力をしていく必要があるでしょう」
伊藤教授は「プーチン大統領を面白がっていた人たちも、『面白いネタを提供してくれる、面白いおじさんがいるんだな』くらいの受け止め方だったはず」と推測。それでも「複雑さを見失っていないか。『単純化して、解釈しているだけなのでは』と、自分の見方を疑うことは大切です」といい、こう続ける。
「『ネタにして面白がってただけなのに大袈裟』と思われるかもしれません。それでも自分が持っている情報以外も見ていくようにする。よくわからないものはよくわからないものとして、単純化しすぎないようにする。すると『プーチン大統領は面白いおじさん』という認識に歯止めをかけることが出来たのかもしれません。
とはいえ『誤った認識をしない』と気をつけていても、個人の心構えで何とかなるものとも思えません。メディアの報じ方やネットリテラシーという側面でも、考えられるべきテーマかもしれませんね」
これからはいっそう、プーチン大統領含め、様々な政治家の本質を見極める必要があるだろう。