《やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません》
秋篠宮さまは53歳の誕生日会見で、眞子さまと小室圭さんの結婚について、このように述べられた。
「’17年12月に小室家の借金トラブルが報じられました。秋篠宮さまは会見で事実関係を説明することを求めましたが、小室さんは拒否。8月には国際弁護士を目指すために渡米してしまいました。理解しがたいその行動に、秋篠宮ご夫妻も困惑されています」(皇室ジャーナリスト)
天皇皇后両陛下の初孫となる眞子さまがお生まれになったのは’91年10月23日。そのわずか18日前の10月5日、小室圭さんは生まれた。
父・敏勝さんは横浜市役所に務める公務員。’94年、一家3人で横浜市郊外のマンションに引っ越した。当時の母・佳代さんによる子育てについて、同じマンションに住んでいた女性が語ってくれた。
「圭くんは行儀のよい、かわいらしい男の子でしたよ。佳代さんが圭くんに、両親を『お父さま、お母さま』と呼ばせていたのが印象的でした。佳代さんは真っ赤なアウディに乗っていて、幼稚園にもアウディで送り迎えしていました。ほかのママたちはみんな自転車だったのでかなり目立っていました。ただ、ちょっとした交通事故を起こしたようで、それ以降は佳代さんも自転車に切り替えていましたね」
佳代さんは小室さんが3歳のときからバイオリン教室にも通わせていた。さらに小学校は、私立の国立音楽大学附属小を選んだ。小室家の近所に住んでいた50代の主婦が語る。
「横浜市から東京の国立市まで通学するのは難しく、小学校の近くに部屋を借りていた時期もあったようです。佳代さんはまさに小室さんを“王子さま”に育てようと、一生懸命だったようです」
しかし’02年3月、一家に悲劇が訪れる。父・敏勝さんが36歳の若さで他界したのだ。自殺だったという。
「佳代さんは洋菓子店でパートを始め、小室さんの学費を必死に稼いだそうです。小室さんは中学・高校と東京都品川区のインターナショナルスクールに通っていました。敏勝さんの遺族年金とパートの収入で賄うのは、相当たいへんだったはずです」(前出・50代の主婦)
インターナショナルスクールの学費は1年あたり約200万円だったという。母の苦労を目の当たりにした小室さんは、親孝行を何よりも大切にするようになった。
小室さんは高校2年生のころからアルバイトをしていた飲食店の店長に「僕がお母さんを守っていくんです」と語ったこともあったそうだ。
「ICUに入学すると、小室さんは神奈川県藤沢市のPRを担当する『湘南江ノ島 海の王子』にも応募し、見事に選出されました。女手一つで育ててくれた佳代さんの期待に応えようと、小室さん自ら“王子さま”を目指すようになったのかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)
そして小室さんは’12年6月、ICUの留学についての意見交換会で眞子さまと出会う。
国際弁護士の夢を追い続け、眞子さまとの結婚も諦めない小室さん。その行動の根幹には、母に誓った“王子さま”としての生き方があるのだろうか――。
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