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「ご成婚当時、上皇陛下が“柳行李一つで来てください”と結婚を申し込まれたという話がありましたが、そんな事実はなかった、と美智子さまご自身はおっしゃっていました。

 

《陛下は柳行李をご存じなかったんですから。“見たことがないけれど、それはどういうものだろう”と後で笑っていらした》なんてお話しされていましたよ。この件について美智子さまは、正しいことを世間に伝えたいと思われているようでした」

 

本誌記者にそう話してくれていたのは、10月20日に88歳、米寿のお誕生日を迎えられる美智子さまの古い知人のAさんだ。

 

美智子さまが皇后だった時代にたびたびお目にかかる機会があったというAさんは、当時、伺った印象的なお話を忘れぬように覚書として残すようにしていた。

 

「世間話のようなもので盛り上がることもあれば、こちらの近況を興味深そうに聞いてくださることもありました。そういうなかでときに話が美智子さまの半生に及び、その苦悩や葛藤を感じることがあったのです。日本の皇后でいらした方のお苦しみを忘れてはいけないという思いがありました」

 

1959年に24歳で皇室に入り、1989年から2019年までの30年間、皇后として国民に寄り添われた美智子さまの苦悩とは。すでに鬼籍に入ったAさんに取材していた美智子さまのお言葉を、米寿のお誕生日をお迎えになるにあたり初公開する。

 

冒頭の“柳行李”の件については、2001年の会見で上皇さまご自身が「私が『柳行李一つで』と皇后に結婚を申し込んだと今も言われていますが、このようなことは私は一言も口にしませんでした」と否定されている。

 

また、上皇さまにとって学習院の後輩であり、お二人のキューピッド役を務めた織田和雄さんも著書などで「私が勝手に思い込んで話したことで、真実ではない」と“柳行李”の件を訂正している。

 

Aさんは本誌にこう証言していた。

 

「美智子さまはご成婚に至る過程が、世間に誤解されていることをたいへん残念に思われているご様子でした。自分にとって大切な思い出だからということだけでなく、それが上皇さまのお人柄、皇族としての在り方に関わることだったからだと思います。そういった美智子さまの思いを受けて、上皇さまもきちんと公の場で否定しなければならないと考えられたのではないでしょうか」

 

では、Aさんが美智子さまから伺ったという“ご成婚の真実”はどのようなものであったのか。

 

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