■「“守る”というのとは別の極にあることを、陛下はおっしゃった」
そもそも美智子さまは、宮内庁からご結婚の打診があった当初は、お断りになられていたという。
《わたくしは本当に皇太子殿下(上皇陛下)を尊敬申し上げていましたけれども、皇太子殿下であるからこそ、どうしても結婚の申し出をお受けできないと考えていたのです》(Aさんが伺った美智子さまのお言葉、以下同)
「美智子さまは、ご自分は皇太子妃にはふさわしくないとお考えだったそうです。けれども上皇さまは諦められなかったのですね。ただ、どんなに美智子さまを説得なさろうとするときでも、いわゆる“甘い言葉”ではなかったようです」
《“お嫁に来たくない”という人間を来させるために男の人だったらば言うはずの言葉を、陛下は一言もおっしゃらなかったのです》
美智子さまはそんなふうに当時を回想されていたという。
「たとえば、いまの天皇陛下は、雅子さまに『僕が一生全力でお守りします』といった言葉でプロポーズなさったことが明らかにされていますよね。“あなたに苦労をさせません”“あなたを守ります”というのは、理想的なプロポーズの典型のような言葉でしょう。もし、“柳行李”が本当だったとしたら同じ類いの意味をもつと思います。
けれど上皇さまは、最初から最後まで一貫して、美智子さまに、それとはまったく逆のことをおっしゃっていたそうです」
それは次のようなものだった。
《“守る”というのとは別の極にあることを、陛下はおっしゃったの。それは陛下にとって“公(こう)は私(し)よりも大事だ”ということです》
「上皇さまは、家庭などの私的なことよりも、未来の天皇としての公のご責任が何よりも大事であるというご自分の立場を、美智子さまに説明されたようです。そして美智子さまがご結婚をなかなか承諾なさらなくても、“公は私よりも大事だ”というご意見は決して変えなかったのです」
しかし、その姿勢が最終的に美智子さまのお心を動かしたという。
「あくまでも公を優先しなければならないという皇太子殿下としてのお覚悟のご立派さ、ご誠実さが、美智子さまの胸を打ったのです。それで美智子さまはお輿入れをお決めになったそうです。
“公の仕事を全うしていくための根っことして、皇太子殿下はご自分が心安らげる家庭というものを求めていらっしゃる”、それをつくってさしあげようと、美智子さまは決意されたのです」
Aさんはお話をするなかで、美智子さまは何事も真面目に深く掘り下げて考えられる方だと、常に感じていたという。
「お話を伺ったとき、《陛下にとって“公はどんなときでも私に優先するものだ”というのはあのときからいままでずっと変わっていないんです》とおっしゃった美智子さまは、涙ぐまれていました。ともに歩まれた来し方を思い出されて、胸に去来する思いがあったのでしょう」