■持統天皇との共通点は“困難にある人々へ向ける深いまなざし”
皇室で文才にあふれ、お歌の伝統を守ってきた女性のなかには、江戸時代の後桜町天皇(在位1762〜1771年)がいる。
皇室の歴史に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんによれば、
「後桜町天皇は和歌をはじめ書や文筆などにすぐれていたばかりでなく、漢学も好まれました。また譲位後にも、『孟子』や『白氏文集』(唐代の漢詩人・白居易の詩文集)などの進講を受けていらしたのです。
和歌がお上手なこと、そして文学への関心が深いことは、後桜町天皇と愛子さまの共通点ですね」
歴史上、10代8方の女性天皇の御世があった。後桜町天皇が現時点での“最後の女帝”であるならば、“最強の女帝”とされるのが持統天皇(在位686〜697年)だ。
「愛子さまは学習院初等科時代から、学業優秀でスポーツもお得意でいらしたことから“文武両道”とのご評判でした。特に’19年9月、女子高等科3年生のときの運動会では、『ドリブル競争』という種目に副キャプテンとしてご出場。バスケットボールを素早くドリブルし、シュートを正確に決め、チーム優勝の立役者となられたのです。
いっぽうの、天智天皇の皇女で、天武天皇の皇后でもあった持統天皇は、愛子さまとは少々異なる意味での“文武両道”です。
百人一首の1つである《春過ぎて夏来にけらし白たへの衣ほすてふ天の香具山》は、持統天皇の御製で、古来名歌とされています。この歌は愛子さまが勉強されている『新古今和歌集』にも収録されています。
古代最大の内乱『壬申の乱』では夫・大海人皇子(のちの天武天皇)と行動をともにし、さらに自ら即位した後は法律の制定など、律令国家体制の整備に取り組みました」(前出・宮内庁関係者)
前出の小田部さんが、持統天皇と愛子さまの共通点についても解説してくれた。
「もちろん和歌にご堪能なこと、またご自身のお立場を沈着冷静に見つめ、周囲の信頼や期待を裏切らない言動を心がけているようにお見受けすることなど、お二方に相通じる点はいくつもあります。
そのなかでも私がもっとも注目しているのは、“困難な状況にある人々へのまなざしの深さ”です。
『日本書紀』によれば、持統天皇は持統元年(687年)に、都に住む老人・病人・貧民に絹などを与えています。またその年の秋には、685年以前の負債を持つ者から利息をとらないように命じているのです。そのほかにも、減税、雨乞い、罪人の減刑など、民の生活に寄り添う政策をとりました。
現在の皇室は政治には関わりません。しかし、社会的に困難な状況にある人々へ寄り添うことは変わらずに続けています。愛子さまの場合、盲導犬の育成など障害者問題へのご関心も深いですし、昨年末、映画『Dr.コトー診療所』を鑑賞された際には、僻地医療にも目を向けていらっしゃることが報じられました」
皇位継承についての議論も進まず、愛子さまのご将来は不透明なまま。だが愛子さまには、今後も美しいお歌と慈愛の心を国民に示し続けていただきたい。