■「もっと密な意思の疎通や皇室の一体感を」
「彬子さまのコラムは、祖父母らから聞いた皇室の優雅さや思いやりの伝統を残したいというお気持ちで綴られたのでしょう。しかし、コロナ禍や多忙なご公務のため、ご挨拶程度ならともかく、陛下と秋篠宮さまがお二人で顔を合わせて話される機会が激減しているのも事実です。
ご兄弟のコミュニケーション不足が、両家の“日程かぶり”のような侍従職と皇嗣職の連携不足にもつながったことは否めません。また、眞子さんの結婚や秋篠宮邸の改修費に対する批判など、皇嗣家を巡ってはトラブルが立て続けに起きてしまっています。宮内庁内でも、“なぜ秋篠宮さまはもっと陛下にご相談しないのか?”と疑問を呈している者も多いのです」(宮内庁関係者)
彬子さまのお父上である寬仁さまは、“皇族は天皇を支えるための存在”というお考えをたびたび発信され、実践されてきた。
「寬仁さまは、“ひげの殿下”と国民から愛され、皇族が避けがちな政治的な問題についても臆せず意見され、生涯を通じて皇族のあり方と向き合っておられました。そんなお父上を彬子さまは深く敬愛され、お考えの一部を受け継いでおられるのです」(前出・宮内庁関係者)
近現代の皇室に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは、彬子さまがコラムに込めたお気持ちをこう読み解いてくれた。
「天皇家と各宮家の間で、もっと密な意思の疎通や皇室の一体感を高めたいというお気持ち、現状へのもどかしさを感じておられるのではないでしょうか。
彬子さまが綴られているように、昭和天皇の御代では、戦前からご兄弟はご家族もお連れになって、定期的な映画会や食事会を開かれていたことが『昭和天皇実録』などに記されています。
昭和天皇と、秩父宮雍仁さま、高松宮宣仁さま、そして三笠宮崇仁さまとは、ご兄弟の間でもさまざまな考え方が異なることで衝突することもありました。考え方の違いがあったからこそ、終戦や占領という激動の時代に、昭和天皇と弟宮さまたちは、お互いの意思疎通を重視されていたのでしょう」
皇族数は減少の一途をたどっており、皇統の危機が叫ばれて久しい。危機を打開するために、もっと話し合いや協力が必要だと、彬子さまは考えておられるのかーー。