■中東の地で感じた雅子さまとの接点
式典が終了した7月27日夕方、本誌は改めて髙原さんに取材した。日本から遠く離れた中東の地で、雅子さまとの接点を感じた瞬間があったという。
「今日は同じテーブルにICRCの方もいたので、雅子さまは自然に美しい英語でお話を始められたことが印象に残っています。
私が2015年にヨルダンでシリア内戦の難民への救援活動を行っていたとき、現地のスタッフから“いまも雅子さまがいらっしゃったときの写真をとても大切に展示しています”と聞きました。そのことを、雅子さまに懇談の場でお伝えしたのです」
雅子さまは1995年1月、ご成婚後2度目となる外国ご訪問のため、天皇陛下とともに中東3カ国を歴訪されている。帰国する直前、雅子さまはヨルダンの首都アンマンにある赤新月社の病院を訪れていたのだ。髙原さんはこう続ける。
「写真のことをお伝えすると、『あれは、阪神・淡路大震災の後のことでしたね』と懐かしみながらも、お言葉には感慨がこもっていたように思います。私からは、『ぜひまた、ヨルダンにお越しになってください』と申し上げました。“赤十字の看護師は(心身ともに)強い”という話題になったとき、誰かが“赤十字が看護師を強くするんです”と話すと、雅子さまは『そうですよね』と、このときだけ日本語でおっしゃっていました」
授与式を終えた髙原さんは、すぐにシリアに戻る予定だという。30分ほどの懇談だったが、髙原さんをはじめ、苦しむ人々に寄り添う看護師たちとの魂で抱き合うような交流に、雅子さまも決意をさらに固められてーー。
「雅子さまは、適応障害との診断を受け療養に入られてから、ご体調が優れない状況にあっても、都内の児童養護施設『福音寮』をたびたびお一人で訪問されるなど、おしのびでの支援や養護施設の子供たちとの交流を続けていらっしゃいました。
雅子さまからは、“命を懸けて子供たちを救う”という決意を感じました。そうした思いは今も変わらず、今後のご活動にはより反映されていくでしょう。日本国内のみならず、世界規模でのご活動を展開する覚悟をさらに強固なものになさっているはずです」(前出・宮内庁関係者)
看護師たちとの交流を糧に、雅子さまはまた新たな一歩を踏み出される。