「現在、ネット上に上皇ご夫妻への誹謗中傷があふれています。たとえば8月に報じられた、ご夫妻が軽井沢で静養されているというネット記事に対しては、《静かにお忍びで行こうと思えば行けるのに報道陣をわざわざ呼んで記事にさせるのは何故なの? テニスコートのお話も古過ぎて老人しか知りませんし時代遅れのロマンスは興味もないです》といったコメントが書き込まれ、多数の人々が『いいね』を付けていました」
そう語るのは名古屋大学准教授の河西秀哉さん。河西さんはこうした状況を憂慮し、現在発売中の『文藝春秋』(11月号)に《美智子さまが狙われている》というタイトルの論文も寄稿している。
「なかには上皇后さまを『皿婆』という隠語で呼んでいるケースもあります。外出するときにかぶっていた帽子が小皿のように見えると揶揄する言葉です。この問題を放置しておけば、象徴天皇制・皇室の危機につながるのではないかと考えています」
確かに心ない誹謗は身に着けておられるものにまで及んでいる。美智子さまが白内障の手術以来かけられているサングラスに対しても、《ヤクザ屋さんでもあるまいに》《サングラス取ると、人相悪いの目立つから?》といったコメントが書き込まれていた。
「かつて病気療養中の雅子さまがメディアから批判されていたことがありましたが、そうした状況を作り出したのが上皇ご夫妻だったと考え、中傷をしている人々もいます。しかし、それは根拠もなく、臆測の域を出るものではありません」(河西さん)
10月20日に89歳の誕生日を迎えられる美智子さま。そのご生涯のなかで、“誹謗の嵐”に直面するのは初めてではない。1度目は’59年のご成婚当初のことだった。
「初めての民間からの皇太子妃として大変な注目を集めましたが、旧皇族・旧華族などがこれに反発していて、日清製粉社長のご令嬢であられた美智子さまのことを“粉屋の娘”と陰口をたたいている、という噂が当時もありました。
この言葉は美智子さまご本人のお耳にも届いており、お心をひどく痛められていました。 『粉屋の娘という言葉を聞くたび、父はつらいだろうと胸が痛かったです』と、当時を振り返っておっしゃっていました」
そう本誌に証言していたのは、美智子さまの古い知人であるAさん。すでに鬼籍に入ったAさんだが、美智子さまが皇后でいらしたころに度々お目にかかり、そのご苦悩も伺っていた。
Aさんは“そのお苦しみを忘れてはいけない”という思いから、そうしたお言葉を覚書として残していたのだ。
美智子さまが誹謗をどのように受け止め、乗り越えてこられたのか。89歳のお誕生日を前に、本誌がAさんから取材していたお言葉を公開する――。