■心配されている子供たちへのケア
能登半島地震の悲劇は、子供たちにも苦しみを広げている。珠洲市では、押し寄せた津波のために、高校生の兄弟の父である漁師の男性が亡くなったことも報じられている。今後の捜索状況によっては、親を亡くしたことが判明する子供たちも増えてくる懸念が高まっているのだ。東日本大震災による震災遺児は、あしなが育英会が2012年に発表した統計では2千人を超えたという。
「雅子さまはこれまでも恵まれない子供たちの存在に心を痛められてきました。能登半島地震で被災した子供たちのことも、大変憂慮されています。安否不明者の捜索は続いており、災害関連死も増えています。子供たちの心身に対するケアが十分になされているのか、雅子さまも心配されているそうです」(皇室担当記者)
雅子さまは、震災遺児や被災した子供たちとご交流を重ね、具体的な支援に取り組まれてきた。
「東日本大震災の発生後、被災地を訪れるたびに遺児への支援について熱心に質問されていました。皇太子妃時代の2013年には、復興支援活動を行う被災3県の中高生たちのイベントに出席され、2015年にはその中の高校生5人を東宮御所に招かれています。天皇陛下のご即位に際しても、子供の貧困に関する基金などにも5千万円を寄付されています。
災害によって厳しい状況に陥った子供たちに寄り添い、持続的に支えていきたいという雅子さまのご姿勢は、一貫しているのです。今回の地震に際しても、一刻も早く現地で子供たちを励ましたいとお考えになっていることでしょう」(前出・皇室担当記者)
能登の地には、新婚時代からの思い出が詰まっている。ゆかりの人々や施設が被災している光景は、おつらいことだったはずだ。
「ご成婚翌年の1994年、10万人を超える県民が、両陛下をひと目見ようと沿道を埋め尽くした場面もありました。その4年後に再訪された際には、白山市にある石川県ふれあい昆虫館をご視察。大きなチョウがお二人の頭に止まるというハプニングは、いまもご家族の語り草になっているそうです。
その昆虫館には大きな被害はなかったそうです。しかし、両陛下が訪問された場所には、複数被災したところがあったと聞いています」(前出・宮内庁関係者)
1994年の訪問時に視察された、七尾市にある障害者支援施設「青山彩光苑」も、建物に亀裂が入り、上下水道が不通となるなどの被害が出ているという。同施設のスタッフ・畑中浩樹さんは、被災後の状況についてこう語る。
「建物に亀裂が入り、雨漏りもあります。地震で配管がかなり壊れてしまっているようなので、水道の復旧にはかなり時間がかかるのではないでしょうか。さらに、市の焼却施設も壊れてしまい、ゴミの回収ができず、オムツをはじめ燃えるゴミがたまる一方です。
珠洲市や輪島市の状況はこちらよりもっと大変だと聞きます。ここは電気が通るだけありがたいです。まだ日々の生活で手いっぱいですが、施設の利用者や地域の方々に安全に過ごしていただくために、福祉サービスを続けていくことが使命だと感じています。
両陛下が来訪されたときの写真は、今も施設に飾られています。もし今後、両陛下から直接お見舞いがあったら、地域の大きな励みになると思います」
懸命に今を生きようとする被災者を直接慰問するために、天皇陛下と雅子さまはご検討を重ねられていると、前出の宮内庁関係者は明かす。
「被災者や家族を亡くした遺族たちを励まし、救援活動やライフラインなどの復旧に従事する警察や消防、自衛隊をはじめとする関係者たちもねぎらいたいと、両陛下は強く希望されているそうです。しかし同時に、“慰問によって災害対応に支障があってもいけない”というご意向も示されていると、11日に宮内庁の西村泰彦長官が定例会見で明らかにしました」