■眞子さんと彬子さまの対照的なブログ
労働の対価として給与を得た初の女性皇族が上皇ご夫妻の長女・黒田清子さんだった。清子さんは愛子さまと同じように、学習院大学卒業後の’92年4月から公益財団法人「山階鳥類研究所」に勤務していた。
「清子さんは非常勤研究員として週に2日、研究所に勤めていました。初任給は8万円ほどだったそうです。
おもな仕事の1つは皇居や赤坂御用地のカワセミを主とした鳥類の生態研究。もう1つが博物学者のジョン・グールドによる『鳥類図譜』にまつわるもので、掲載されている学名と、もっとも新しい学名を照合し、修正するという作業でした」(前出・皇室担当記者)
山階鳥類研究所所長を務めた山岸哲氏は清子さんのお仕事について週刊誌に寄稿したが、そのなかにこんな一節もある。
《研究の過程で、カワセミの雛がヘビに取られないよう、害虫駆除用の粘着板を巣の周りに取り付けてヘビの侵入を防がれたということだが、紀宮さまはヘビは平気で、これは所員から聞いた話だが、ヘビが出てくるとひょいと素手で捕まえられるそうだ》(『AERA』’04年12月13日号)
清子さんのように、研究機関に就職したのが秋篠宮家の長女・小室眞子さん。
「’16年4月に東京大学総合研究博物館の特任研究員に就任、学術文化総合ミュージアム『インターメディアテク』で非常勤研究員として週3日ほど働いていました。
インターメディアテクのHPには研究者のリレーコラムが掲載されており、小室圭さんとの結婚が話題を集めていた当時は、眞子さんのコラムも注目されました。’20年9月に投稿されたコラムは、電気もついていない展示室を歩き回ったときに不思議な感覚を覚えたという内容でしたが、《まるで時計の針が再び動き出したかのような感覚》といった一節があり、“暗礁に乗り上げている小室さんとの結婚に進展があったのでは”などと報じられたのです。眞子さんが結婚したのは、それから約1年後のことでした」(前出・皇室担当記者)
思いのたけを秘めていたためか、眞子さんのコラムは幻想的で難解な内容も多かったが、寬仁親王の長女・彬子さまの連載コラムは、ユーモラスでわかりやすい文体でつづられている。
《私はいつの頃からか、「和菓子の人」と思われている節がある。友人が、私の誕生日ケーキを担当の人に頼んだところ、「和菓子でなくてよいのでしょうか?」と聞き返されたらしい。日本の伝統文化に関わっているイメージからなのか、皇族は和のものしか食べないと思われているのか》(『和樂web』’24年2月1日配信)
前出の皇室担当記者によれば、
「彬子さまは日本の文化や歴史、美術への造詣が深く、京都産業大学や立命館大学など、6つの大学で特別教授や客員教授などを務めていらっしゃいます。
いっぽうで’12年には京都で一般社団法人『心游舎』を創設し、総裁として子供に日本文化を伝える活動に携われているのです。その一環として子供たちに稲作文化を知ってもらうために、彬子さまも自ら田植えや稲刈りに参加しており、泥まみれで農作業を行われることもあります。彬子さまのモットーは“文化というのは、日常生活の中で生かしてこそ残っていくもので(博物館のガラスケースに)保存するものではない”というものなのです」