■管弦楽部入部を機に登校状況が劇的改善
その理由について、ある学習院関係者はこう語る。
「実は山本さんは、天皇陛下や雅子さまにとっても愛子さまの不登校問題を解決する糸口をもたらした“恩人”といえる存在なのです」
天皇ご一家と山本さんのご縁の始まりは、10年以上前にさかのぼる。愛子さまが、乱暴な男子児童に対する恐怖心から、登校への不安を訴えられたのは、’10年3月のことだった。
「当時、愛子さまは学習院初等科の2年生。しかし進級後も、お一人で登下校することはできず、しばらく雅子さまと初等科に通われる日々が続きました。
雅子さまご自身の体調も不安定な時期でしたが、授業参観をしたり、給食時間は別室でいっしょに昼食を召し上がったりと、愛子さまの学校生活に付き添われ続けたのです。2泊3日の校外学習にも同伴し、宿舎となったホテルに雅子さまも宿泊されました。
そのような日々に、宮内庁内からも“皇太子ご夫妻は過保護すぎるのでは”“雅子さまは愛子さまのお付き添いよりご公務を優先すべきでは”といった声が上がっていました。しかし雅子さまが、ご信念を変えることはなく、愛子さまを全力で守り続けられたのです。このときの雅子さまのご献身の日々により、愛子さまは回復され、母娘の強い絆が育まれました」(前出・皇室担当記者)
いまでは信じられないことだが、この当時は“皇太子殿下は退位されるべきではないか”と提唱する論客もいたほど逆風が吹いていたのだ。まさに“孤立無援”の天皇ご一家を救ったのが、学習院初等科管弦楽部の存在だった。
「’11年、4年生となられた愛子さまは管弦楽部に入部され、楽器はチェロを選ばれました」(前出・皇室担当記者)
雅子さまが見守られていたことも功を奏し、遅れて登校しがちだった愛子さまが学校で過ごされる時間もしだいに長くなっていた。
「それでも雅子さまのお付き添いがないとご登校できない状況が続いていました。その転機となったのが、愛子さまの管弦楽部へのご入部だったのです。
管弦楽部には“朝練”があり、平日は7時半、土曜日も8時からスタートしていましたが、愛子さまは積極的に参加されました。そのため愛子さまが遅れて登校されることも少なくなっていき、ついにお一人で徒歩で登校されるようになったのです」(前出・皇室担当記者)
この“管弦楽部効果”について精神科医の香山リカさんは、
「ほかの児童たちといっしょに演奏する楽しさや役割を与えられる喜びを、楽器を通じて感じられたのだと思います。“自分が休むと合奏全体に影響を及ぼしてしまう”、そんな思いもご通学への動機になったのでしょう」