■愛子さまは先輩職員たちも撤収するなかで最後まで
命懸けの救護活動に耳を傾けるうちに、雅子さまは目を潤ませていらしたのだ。川瀨さんは、生きて日本に帰ることができないという不安も募らせていたという。
「特に激しい攻撃が続くときは、寝る前に家族にメッセージを送り、『もう目覚めないかもしれない』と覚悟を決めて、目をつむりました」
式典終了後、雅子さまは川瀨さんと懇談され、「大変な環境だったのでしょう」、そう優しく声をかけられた。
「雅子さまは何度も何度も深くうなずきながら、川瀨さんとお話しされました。『現地の方と連絡は取れていますか?』などとお尋ねになり、最後に『現地の方々に、よろしくお伝えください』とおっしゃって、明治神宮会館を後にされたのです」(前出・皇室担当記者)
川瀨さんのスピーチや雅子さまのお姿を、モニターを通して確認されていたという愛子さま。皇室の方々が明治神宮会館を出発された後は再び、参加者たちの退場の誘導を始められた。
「退場も都道府県ごとで、すべての参加者が明治神宮会館から退出するまで、1時間以上もかかりました」(前出・皇室担当記者)
さらにスタッフとして詰めていた日赤職員たちも、次々に撤収していったが……。
「愛子さまが、お車で明治神宮会館を後にされたのは15時前。日赤職員たちのなかでも、いちばん後でした。会場の後片付けにも率先して従事されていたと聞いています」(前出・皇室担当記者)
雅子さまが名誉総裁として臨席された全国赤十字大会を、およそ400分間、裏方として支えられた愛子さま。そのご奮起の陰にあったのは“赤十字の一員として自分にできることを”という看護師・川瀨さんの言葉と、彼女を激励した母の姿だったに違いない。
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