■修士論文完成前に日本へ呼び戻されて
扇子、タンブラー、午餐会、そして「お帰りなさい」という言葉……。さまざまなプレゼントを受け取られた雅子さまだったが、最終日のオックスフォードで、“最後の贈り物”が用意されていたのだ。
小和田家の知人はこう明かす。
「オックスフォード大学からの名誉学位授与は、雅子さまにとって、大変うれしかったことでしょう。
雅子さまは、外務省の研修生としてオックスフォード大学のベイリオル・コレッジに’88年から約2年間留学されました。ハーバード大学では数理経済学専攻でしたが、オックスフォードでは、国際関係論を学ばれたのです。ただ修士論文に取り組んでいる途中、’90年に帰国しなくてはならなくなり、修了されることはできなかったのです。
何事においても几帳面な雅子さまにとって、大きな心残りだったと思います」
修士論文の指導を担当したルーカス・チュカリス教授は週刊誌の取材に対し、こう語っていた。
《マサコは賢いだけではなく、非常に性格がよく、彼女が私の教え子でなければ『尊敬』という言葉に値する人物だと思います。修論はたしか『日本政府によるアメリカ製航空機の購入』というテーマでした。外務省から呼び戻されたため、断念しなければならなかったのは残念でした》(『週刊文春』’06年3月16日号)
この“アメリカ製航空機”とは、当時話題になっていた「FSX」(次期支援戦闘機)のことで、雅子さまは外務省職員として、日米共同開発にいたる外交過程に興味を抱かれていたという。
それにしても、なぜ雅子さまはご留学中に外務省から呼び戻されたのだろうか。
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