■実母を介護しながら女官の激務に臨んだ
愛子さまが物心つかれたころから頼りにされていた“ばあや”のような存在だった岡山さん。彼女が、陛下と雅子さまからの絶大な信頼を得るようになったのは、これまで数多くの苦難に直面してきた天皇ご一家に寄り添い続けた30年の日々があるからにほかならない。
「岡山さんは学習院大学卒業後、児童養護施設でのボランティアをはじめ、福祉分野へ深く関わってきたそうです。ご主人と死別された少し後に東宮女官となりましたが、高齢のお母さんを娘さんと介護されながら、宿直もある激務に臨んでいたのです。岡山さんの責任感や献身ぶりに、ご体調を崩されてしまった雅子さまも、お側でのサポートを託すことができたのだと思います」(前出・宮内庁関係者)
雅子さまがご病気のために長期のご療養に入った2004年春。環境を変える「転地療養」のため、雅子さまと愛子さまは軽井沢にある小和田家の別荘に滞在された。陛下と“別居”と報じられ、“離婚危機”とまでささやかれる事態に……。小和田家の知人は、この当時をこう振り返る。
「軽井沢に雅子さまと愛子さまのお荷物や生活用品を持っていくなど、お手伝いをしていたのが岡山さんでした。突然東宮御所から軽井沢に行くことが決まり、周囲は対応に苦慮していたのですが、岡山さんはいつもどおり穏やかな様子だったと聞いています。雅子さまや小和田家のご家族も精神的におつらい状況でしたが、岡山さんには大きな安心感を抱かれていたのではないでしょうか」
愛子さまが学習院初等科2年生だった2010年3月、“登校不安”のために欠席されがちとなっている状況を宮内庁が発表した際にも、岡山さんの活躍があった。愛子さまを守られようと懸命に奔走し、心労も募らせていた雅子さまを、岡山さんはすぐ側で支えていたのだ。
「雅子さまが愛子さまに同伴されて通学されるときも、後ろから荷物を持つ岡山さんをお見かけしています。このころ、雅子さまのプライベートでのお出かけには、ほぼ毎回のように岡山さんが随行していました。
愛子さまが4年生時に山梨県の山中湖での2泊3日の校外学習に参加された際、雅子さまも同行されたのですが、岡山さんは雅子さまにぴったりと付き従い、ともに愛子さまを見守られていたのです」(前出・皇室担当記者)