■お座りになる時間がほとんどないほど…
両陛下は、51人が避難生活を送る輪島中学校で、被災者に声をかけられた。その一人、前原郁夫さん(85)はこう振り返る。
「天皇陛下から『大丈夫ですか』とお声をかけられました。そして雅子さまからは、『これからの健康を気遣ってください』とのおことばをいただきました。大変光栄で、感謝感激です。なんとお優しい皇后さまなのかと、ひしひしと感じました」
避難所での陛下と雅子さまは、椅子に座る高齢の被災者に向かって、中腰で、時にはそれよりも腰を落とし視線を合わされて、お声がけを続けられていた。
「両陛下ともに、かなり腰にご負担がかかっていたとお見受けしますが、そうしたことをまったく周囲に悟らせないように対応されていました。またバスの中でも、人々が見えるたびに位置を変えられていましたし、ゆっくりお座りになる時間はほとんどなかったはずです。
お見舞いの後に両陛下は、お話しされた被災者には涙を流す人が多かったことに気を留められていたそうです。二重被災がいかに人々の心を傷つけてしまったのか、あらためて能登の被災者を励まし続けなければならないと、ご決意を新たにされたはずです」(前出・宮内庁関係者)
ほとんど“立ちっぱなし”で体力的にもご負担がかかったとしても、人々の涙を止めたい……。そう誓われた雅子さまは、これからはどのような形で能登の人々に寄り添われようとするのだろうか。元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんは、その“鍵”について次のように話す。
「大きな自然災害の場合、被災直後のお見舞いだけではなく、復興状況を視察されるために、再び訪問されることがよくあります。復興状況のご視察は、被災地の人々に“忘れていませんよ”というお気持ちが伝わると思いますが、被災直後の訪問に比べると、ポジティブな雰囲気に包まれることが多いですね」
能登の人々は、再び笑って過ごせるような日々を取り戻すため、一日一日を必死に生き抜いている。前出の皇室担当記者は、
「両陛下は2025年1月に兵庫県を訪問され、阪神・淡路大震災30年追悼式典に出席されます。追悼や鎮魂から、復興までの被災者へのお心寄せの形は、上皇ご夫妻から受け継がれ、最重要のおつとめとして臨まれています。
能登半島の被災地に対しても同じように、復興への歩みを見守られ、両陛下は実際に訪問されて激励されていくことでしょう。4度目のご訪問も、そう遠くない時期に行われると思います」
天皇陛下と雅子さまは今回の“氷雨のご慰問”でいっそう覚悟を固められ、これからも復興まで能登の人々に寄り添われていく。