24年12月17日、輪島市役所に到着された雅子さま 画像を見る

12月17日、冷たい雨の中、石川県輪島市を訪問された天皇陛下雅子さま。東京から奥能登への日帰りというハードなスケジュールのなか、元日の能登半島地震に加え、9月の豪雨被害に見舞われた輪島市の被災現場や避難所など各所を回られた。

 

輪島中学校で両陛下からお声がけされた市中泰雄さん(86)は、輪島塗の塗師屋として50年にわたる経歴を持つ。地震があった元日から避難生活を送り、7月半ばにようやく輪島の工房に帰ってきてわずか2カ月で豪雨に見舞われたという。

 

「正月の地震も大変だったけど、水害のほうがひどい被害を受けました。胸まで水に浸かり、3つ並んでいた工房も全てダメになってしまいました。

 

皇后さまからは『地震、大変でしたね』というおことばをいただきました。寒い輪島まで来ていただき、ありがたく、胸のつかえが下りる感じがしました。そして、頑張ろうという気持ちになりました」

 

そして、雅子さまの大ファンで朝の皇室番組は必ず見ているという妻の邦子さん(82)も感激していた。

 

「雅子さまから『お体に気をつけて』とお声がけいただきました。とてもお優しく、素敵な方でした。本当に感謝感激で、ありがたく思いました」

 

この日、雅子さまは移動中、マイクロバスのなかでわざわざ立ち上がり、沿道の人々に向けて身を乗り出すかのように、手を振られていたという。

 

「長年雅子さまの被災地でのお姿を取材してきましたが、マイクロバスの中で立ち上がられるのを今回初めて拝見しました。このときは進行方向の右側に人が集まっていたので、ご自身のお姿が沿道の市民からよく見えるように雅子さまが気遣われたのだと思います。

 

日帰りのため、約8時間のご滞在は分刻みで行程が詰まっていました。それでもお疲れを見せず、移動中でも常に被災地の方々にお心を寄せられる姿勢に大変感動いたしました」(皇室担当記者)

 

立ち上がってお手振りされるのは美智子さまのスタイルと似ていると、前出の皇室担当記者は語る。

 

「美智子さまは、東日本大震災後の東北や豪雨被害の広島などの被災地を訪問された際、マイクロバスから立ったまま手を振られていました。

 

実は、皇室の方々がかがみこみ、膝をついて被災者とお話されるというのも、美智子さまがきっかけとなり定着した“平成流”のスタイルなのです。美智子さまは、ご成婚当初から子どもたちの施設などでも膝をつかれており、自然と上皇陛下も同じ体勢をとられるようになったのです。

 

1991年(平成3年)、長崎県島原市の雲仙・普賢岳の噴火災害のお見舞いで、上皇ご夫妻が被災者の前で膝をつかれたのですが、その当時は『天皇陛下が膝をつくのはいかがなものか』と反発の声も多かったのです。それでも、上皇ご夫妻はそれを継続されたのです。そして雅子さまも、皇太子妃時代から膝をついてお話されています。30年前の阪神淡路大震災の時も、ロングスカートの膝あたりを白くして多くの被災者にお声がけされていました。」

 

このような“国民と対等に寄り添う”という美智子さまのお心が感じられるなさりようを、雅子さまはお手振りひとつにおいても自然と受け継がれているのではないだろうか。

 

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出典元:

WEB女性自身

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