2025年6月4日、ブラジルへ出発された佳子さま(写真:JMPA) 画像を見る

白いジャケットと紺の帽子をお召しの佳子さまは、慰霊碑に花を供え、深く拝礼された。そのとき佳子さまが思い出されていたのは、日本から遠く離れたブラジルに移住し、苦労を重ね、母国への郷愁を抱きながら亡くなった移民たちの歴史だったのだろうか。

 

現地時間の6月5日にサンパウロに到着された佳子さまは、いまブラジルの各都市を巡られている。

 

皇室担当記者はこう語る。

 

「到着した5日午後、サンパウロの公園で、日本人移民の無縁仏を慰めるために建立された『開拓先没者慰霊碑』に供花されました。

 

佳子さまにとって海外公式ご訪問は、オーストリア・ハンガリー、ペルー、ギリシャに続いて4回目となります。

 

今回は広大なブラジルの各地にある8都市を10日間で訪問されるという強行日程です。

 

一日で7つの行事に臨まれるような日もあり、非常に厳しいスケジュールですが、佳子さまは意欲を燃やされているそうです」

 

皇室にとってブラジルとの親善は特別なものだという。

 

「日本からの移民は約120年前に始まり、ブラジルには国外でもっとも多くの日系人が暮らしているからです。特にサンパウロには約130万人の日系人が暮らしているといわれています。

 

上皇ご夫妻や天皇陛下も、同国を訪れ、現地の日系人たちにお心を寄せられてきました。佳子さまも、このご大任のため、3月から周到に準備を重ねてこられたのです」(前出・皇室担当記者)

 

今回のご訪問に当たり、佳子さまは3月21日にブラジル大使夫妻からご説明を、サンパウロ大学名誉教授からご進講を受けられて以降、約2カ月で、ブラジルの歴史や文化などに通じた11人もの識者から学ばれたという。

 

その一人が国立民族学博物館の中牧弘允名誉教授だ。中牧さんは4月28日の佳子さまの兵庫県ご訪問に際し、「神戸市立海外移住と文化の交流センター」にある「移住ミュージアム」の視察にも立ち会い、展示場の案内を行っている。

 

中牧さんはこう語る。

 

「神戸では、移住ミュージアム以外にも関西在住のブラジル人コミュニティの活動報告を聞かれたほか、子供たちが描いた絵などもご覧になっていました。

 

日本人が移民として渡った時代のブラジルについて、また1920年代後半からわが国の国策としてブラジル移住が進められていたことなどをお話ししました。

 

コーヒー農園の契約労働者としてブラジルへ渡った日本人たちがその後大変な思いで土地を開拓して定着し、同国の発展に貢献していった歴史などもご説明しました」

 

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