恩師へ感謝の言葉を述べる具志堅用高さん
指導者として45年間、リングに立ち続け、「ボクシング王国沖縄」を築き上げた沖縄県那覇市出身の金城眞吉さん(享年73)の告別式が16日、那覇市天久の那覇葬祭会館で行われた。教え子やボクシング関係者らだけでなく、空手道、相撲など県内各スポーツ界からも多くの弔問客が訪れた。教え子たちは「厳しさの中にあふれる愛情があった」「まだまだ教わりたいことがあった」「おやじのような存在だった」などと述べ、ボクシングに情熱を注いだ金城さんの功績を振り返り、目を真っ赤にした。約1500人が参列した。
式が始まる1時間前には長蛇の列ができた。那覇葬祭会館入り口には興南高校や沖縄尚学高校で指導し、延べ40人ほどの全日本チャンピオンらを輩出してきた金城さんの軌跡を表す写真や映像をはじめ、県功労賞の表彰状、さらに練習風景の記録動画が流され、弔問客が懐かしそうに見詰めていた。
15戦連続KOの日本記録を持つ浜田剛史さんや金城さんと同じ南部農林高校卒の平仲信明さんら県出身の元世界王者も訪れ、手を合わせた。平仲ボクシングスクール会長の平仲さんは「沖縄からチャンピオンを出すために天国から力を貸してほしい」と語り掛けるように話した。
興南高校時代、海邦国体の少年団体優勝メンバーで、ピューマ渡久地のリングネームでプロで活躍した渡久地隆人さんは「怖いけど優しかった監督。まだまだ教わりたいことがたくさんあった」と言葉を詰まらせた。
沖尚高時代に指導を受けた元日本ライトフライ級王者の嘉陽宗嗣さんは「怖かったが付いていこうという気持ちだった。プロの試合前日も『自分に負けるな』の言葉をもらうため電話していた」と話し、恩師との思い出を懐かしんだ。
ボクシングクラブナカザトの仲里繁会長は「金城さんがいなければ自分を指導してくれた故・中真茂さんもいなかった。まだまだ及ばないですが、早く王者を出すことが恩返しだと思う」と語った。
こんなに早く、寂しい/具志堅氏弔辞
こんなに早く、監督と別れることは本当に寂しいです。悔しいです。あと10年、ボクシングをしてほしかったです。東京オリンピックも目の前にきています。日本の代表コーチになってほしかった。
今日まで私がいるのも監督のおかげです。16歳に、ボクシングもしたこともない、見たこともない自分を教えていただいた。いまだに監督のミットの音が聞こえています。高校総体(で優勝)を取り、オリンピック目指した自分がだまってプロの世界に入ったとき、怒った(監督の)顔は今でも忘れません。しかし、監督に「世界王者になって帰ってきます」と言いました。
ファン・グスマンをノックアウトして世界王者になって帰ってきたとき、監督の喜んだ顔は今でも忘れていません。監督の指導は先輩後輩も皆一緒だと思います。本当に、熱い指導で監督がつくった40人のアマ王者、本当に皆さん、同じ気持ちだと思います。
プロの指導にあたって、監督のおっしゃったボクシングの指導を少しでも学び、比嘉大吾が世界王者をつかんだ。監督に一番最初に比嘉大吾を見せてあいさつしに行きました。それが、監督との最後の会話でした。これからも、私たち、沖縄ボクシング界のために監督から教えられたことを守り、ボクシング界のために頑張っていきたいと思います。
監督、最愛の妻である奥さんのところで休んでいただきたいと思います。最後に、もう一度、金城眞吉監督ありがとう。さよなら。