米プロバスケットボールリーグNBAの元スーパスター、コービー・ブライアント氏が事故で急逝してから、3週間がたった。競技や人種を越え、世界中が追悼を意味する「R・I・P(Rest In Peace=安らかに眠れ)」の言葉であふれる中、バスケが盛んな県内も悲しみに包まれている。
今月9日にあった琉球ゴールデンキングスのホーム戦。米国出身のジャック・クーリー(28)のシューズには手書きで「RIP KOBE」の文字があった。NBAでのプレー経験を持ち、コービー氏と対戦したこともある。「彼は選手としても人格的にも偉大な人だった。家族のような気持ちだった。今でもずっと悲しい」。試合後の会見でうつむいたまま、悲痛な表情を見せた。
那覇市国際通りにあるNBA専門店「LOCKER」。店頭の自動販売機には、5年近く前に開店した頃から張られ、少し色あせたコービー氏のポスターがある。ここにもあの文字が書かれていた。「1978―2020 RIP KOBE MANBA FOREVER」。MANBA(マンバ)は毒蛇のことで、極めて得点能力が高いコービー氏の愛称だった。
亡くなった1月26日に書き入れた店員の宮城敬行さん(30)は「学生の頃からコービーが好きで、よくプレーをまねしていた。文字には『ありがとう』という意味を込めた」と追悼の意を示した。店の入口にはコービー氏が20年間の現役時代に一筋で所属した「ロサンゼルス・レイカーズ」を象徴する色の一つ、紫色の花が生けられていた。
12日夜、沖縄市内であったFMコザのバスケ専門番組「アウトナンバーラジオ」の収録には、人気音楽グループ「オレンジレンジ」のボーカルで、大のNBAファンで知られるYAMATOさん(36)が出演していた。収録のテーマの一つが「追悼 コービー・ブライアント」。コービー氏がNBAデビューした1996年はちょうどバスケを始めた時期。華麗なプレーに魅了され、一番好きなNBA選手だった。
コービー氏が亡くなった日、YAMATOさんは「一日中泣いていた」という。テレビのNBA番組に出演するなどバスケ関連の仕事もこなし、いつか本人に会う日を夢見ていた。「亡くなって、これだけ好きだったのかと改めて分かった。今でも信じられないし、受け入れられない」とヒーローの突然の死を悼んだ。
(長嶺真輝)