新型コロナウイルスの県内での感染者は17日までに1600人を超えた。市中感染が広がり厳戒ムードが続く中、感染者の女性が同日までに本紙の取材に応じた。女性は7月末にPCR検査で陽性となり約2週間の入院生活を余儀なくされた。重症化することなくウイルスを克服したものの、家族への影響が気になって今も自宅に帰れないでいる。「行き場がない」。病変のみならず、目に見えないウイルスへの恐怖と無理解が感染者を苦しめる。
「まさか私が、と頭が真っ白になった」
那覇市に住む女性(33)は、感染を知った時の心境をこう振り返った。
女性が市内の病院でPCR検査を受けたのは先月27日。同29日に陽性を告げられた。
周囲に複数の陽性者が出たことが検査を受けたきっかけだった。同19日、アルバイト先の那覇市内の飲食店経営者が発熱。4日後に感染が判明した。その後もスタッフや客らの感染が次々と明らかになった。
「自分も危ないんじゃないか」。そう思ったが、保健所からは「濃厚接触者に当たらない」と言われた。典型的な症状とされる味覚・嗅覚障害や咳、発熱はなかったが不安を拭いきれず、自ら病院で検査を受けた。女性は「無症状のまま感染を広げていたらと考えると怖い」と身震いした。
気掛かりだったのは同居する70代の両親だ。身支度する間も接触しないように注意したが、気が気ではなかった。「濃厚接触者」とされた両親と兄のPCR検査の結果は陰性。「心底ほっとした」
7月30日から入院生活が始まった。入院した病院は1フロアが専用病棟になっており、8室ほどの個室はすべて埋まっていた。無症状だった女性は4人部屋に入床。入院患者の顔ぶれは次々と変わった。女性は「ウイルスの蔓延(まんえん)を実感した」という。
CT検査の結果、肺炎を発症していたが、退院まで自覚症状はなかった。今月12日に医師から「感染の危険なし」と診断され退院したが、自宅には戻っていない。年老いた両親が気掛かりだからだ。
「本当に大丈夫?」。そう尋ねる不安げな2人の顔を見ると、帰宅しようという気持ちにならなかった。女性は「誰も責められない。でも行き場がないってこんなにつらいものかと痛感した」とため息を漏らす。
女性は旅行添乗員として働いていたが、春先から仕事はほとんどなく、アルバイトをしていた。仕事の幅を広げるため、2月に海外旅行の添乗が可能になる資格を取得した矢先のコロナ禍だった。退院後はホテル暮らしが続くが、収入も補償もなく不安は募るばかりだ。
「つらいけど、前を向くしかない」。気持ちを奮い立たせるようにこうつぶやき、笑った。
(安里洋輔)