戦後70年の節目に自身の創作活動を振り返り、本紙のインタビューに答える大城立裕氏=2015年7月22日、那覇市首里汀良町の自宅 画像を見る

 

沖縄初の芥川賞作家で長年、沖縄文学をけん引し、沖縄とは何かを問い続けた大城立裕(おおしろ・たつひろ)氏が27日午前11時10分、老衰のため北中城村内の病院で死去した。95歳。中城村出身。大城氏は3月に体調を崩し、入退院を繰り返していた。小説、戯曲、評論、エッセーまでさまざまな分野で琉球・沖縄の通史を独自の歴史観で書き続け、沖縄の戦後史を体現した。

 

今年5月に出版され、米統治下の沖縄で高校教師をした経験を基にした自伝的小説「焼け跡の高校教師」(集英社文庫)が最後の出版物となった。

 

大城氏は1925年生まれ。県立二中を卒業後、中国・上海にあった東亜同文書院大学に入学した。敗戦で大学が閉鎖され同大学を中退し沖縄に帰る。

 

戦後は米施政下の琉球政府職員、日本復帰後は県職員を務めた。青春の挫折と沖縄の運命とをつなげる思想的な動機で文学に関わり、職員の傍ら執筆を続けた。日本復帰前の67年、米兵による暴行事件を通して、米琉親善の欺瞞(ぎまん)を暴いた「カクテル・パーティー」で芥川賞を受賞した。68年には沖縄問題の根源に迫った「小説琉球処分」を出版した。復帰後は県立博物館長も務めた。

 

戯曲「世替りや世替りや」で紀伊國屋演劇賞特別賞。93年には戦時中の沖縄の刑務所を取り上げた小説「日の果てから」で平林たい子賞。90年に紫綬褒章、96年に勲四等旭日小綬章、98年に琉球新報賞、2000年に県功労賞を受賞した。創作意欲は衰えず、15年「レールの向こう」で川端康成文学賞。19年に井上靖記念文化賞を受賞した。

 

近年は沖縄の基地問題に関し、積極的に発言した。2005年、米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古への新基地建設問題について、本紙のインタビューに答え、「第二の琉球処分だ」とし、「県民に与えられたテーマは辺野古に基地を造らせないこと」と述べた。

 

11年には同問題をテーマにした短編集「普天間よ」を刊行。伝統芸能の継承発展にも取り組み、組踊の新作も執筆した。

 

告別式は30日午後2時から2時45分、浦添市伊奈武瀬1の7の1のいなんせ会館で行われる。喪主は長男達矢(たつや)さん。

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