「初戦で優勝しただけなのに、皆さんソチ五輪代表に決まったみたいにおっしゃるので困っているんです(笑)。大切なのはこれから先で、まだどうなるか分かりませんからね」と語るのは“男子フィギュアの新星”町田樹選手(23)の母・弥生さんだ。

 

町田はソチ五輪シーズンの本格的な開幕戦となるGPスケートアメリカで世界歴代5位の265.38点を記録し、優勝。下馬評を覆し、いま最も五輪代表に近いとまで言われている。両親と3歳下の妹の4人家族に育った町田がスケートを始めたのは、3歳のときだった。

 

「幼いころの樹は、家族の前では元気で明るいのに人前に出ると大人しくなってしまう子でね。そのときは千葉県松戸市に住んでいたのですが、ママ友から『近くにスケート場があるから一緒にどう?』と誘われて、軽い気持ちで通わせ始めたんです」

 

弥生さんの子育ては“体育会系”ともいえる厳しさだったようだ。小学校の6年間は半そで半ズボンで育て、起床は午前6時。母子揃って1~2kmの早朝ランニングに出かけることが日課だったという。

 

「小学1年生のときに校内でマラソン大会があったのですが、100人中ほとんど最下位だったんです。そこで『次の大会で優勝しようよ!』と言って一緒に走り始めました。結果、翌年のマラソン大会ではなんと2位になったんです!また当時、縄跳びが上手な子には松戸市から『特級賞』がもらえると知って、練習を決行。小学3年のときに前飛び3千回、後ろ飛び1千回、二重飛び100回を連続で成功させ、賞も取ったんですよ」

 

勉強面でも、“九九を暗記するまで母子揃って湯船から出ない”などのハードな特訓も。そこまで厳しく育てた陰には、息子の将来を思う“母の愛”が隠されていた。

 

「実は、樹は未熟児で生まれて来たんです。だから健康で丈夫に育ってほしいという願いを込め、あえて厳しく育てました。樹が『スケートをやめたい』といったときには『マラソンも頑張ったら2番になれた。縄跳びで特級賞も取れた。今まで頑張ったことはみんな実を結んでいるよね?だから努力し続ければ、絶対にいいことがある』と言い続けました」

 

そんな母の言葉を胸に一歩ずつ前進し続けた町田。昨季もソチ五輪候補として注目を浴びたが、シーズン後半に失速し世界選手権への出場は叶わなかった。それでも彼は諦めなかった。悲願の五輪出場を果たすため、今季は基礎から見つめ直し、猛特訓に明け暮れた。その努力が実り、今回の快挙につながったのだ。

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