1月18日に山形・蔵王ジャンプ台で行われた「FISスキージャンプワールドカップレディース2014蔵王大会」。最終47番目のジャンパーとして登場した高梨沙羅選手(17)は、最高点で優勝。さらに翌日も連続して、通算17勝。男女を含めて日本で最もワールドカップで優勝した選手となった。

 

大会後のセレモニーを終えた高梨選手に、寄り添い話しかけていたのは山田いずみさん(35)。山田さんは女子ジャンプのパイオニアであり、高梨選手が登場するまで初代女王だった人だ。5年前に現役を退き、現在、私生活では1児のママであり、またジャンプ指導者としては、ソチ五輪の全日本女子チームコーチとともに高梨選手の個人コーチを兼任。選手のメンタルまであらゆることに気配りをする大役を担っている。

 

コーチと選手として二人三脚で闘ってきた2人。出会いは高梨選手が小3のころまでさかのぼる。その後、山田さんがジャンパーとして女王の座に君臨していたころ、出場したある国内大会後に小5の女の子がやって来て「ヘルメットをください!」と言った。山田さんは当時、ヘルメットを自分でデザインしていた。憧れの先輩の持ち物が欲しいという、いかにも少女らしい申し出だった。

 

「まさか、小学生のあんなちっちゃな子に頼まれたら、ことわれないですもん。まあ、懐いてくれてかわいかったし」(山田さん・以下同)

 

その“ちっちゃな子”が高梨選手だった。高梨選手にとって、山田さんは2年前に宿舎を訪ねて挨拶して以来、ずっと憧れてきた人。少女は、自分の歩いているジャンプの道を、その大先輩が苦労の末に切り開いてきたという事実を知り、絶大な信頼を寄せるようになっていた。やがて、2人の間で文通も始まった。

 

〈今日はジャンプを10本飛びました〉〈昨日の大会で優勝できました!〉〈飛べない時期はどんな練習をしたらいいですか〉

 

高梨選手からの素直な手紙に、山田さんはせっせと返事を送った。すると、さらなるリクエストが。高梨選手はジュニア大会などで優勝すると、「写真を撮ってください!」と優勝カップを持って山田さんのもとへ来るようになった。

 

「でも、沙羅はちっちゃいから私が『抱っこして撮ろうか』と言って、勝つとそれが恒例となったんです。もう、大きくなってからはしませんが」

 

とはいえ、実は’12年3月、ワールドカップ蔵王大会で初優勝したとき、やはり高梨選手との約束どおり山田さんは16歳の彼女を抱っこして撮影に応じている。甘えん坊の少女もすでにスター選手。無数のフラッシュを2人が浴びたあの瞬間が、新旧ジャンプ女王の王位継承式となった。山田さんは、高梨選手の今の姿にかつての自分を重ね、その責務を把握していた。

 

「’09年の世界選手権当時、私はあらゆる取材を受けました。初めてのことで、競技どころでなかったのも本当です。そんな経験もしているので、今の沙羅の負担の度合いもわかります。だから私の真の役割は、ふだんの感覚でいてあげることだと思います。沙羅がどれだけ平常心でいられるか。それこそが私の仕事です」

 

その平常心を持ち続けた先に、最高の結果はおのずと待っているのだろう。金メダルを獲得したときには、高梨選手に首にかけてもらいますか?との問いに、「いや、金メダルをかけている沙羅を抱っこしたい!」と語った山田さん。

 

それは、高梨選手に贈る勝利のおまじないだ。大らかな“女子ジャンプ界の母”の思いとともに、来る11日、ソチの空を高梨選手は飛ぶ。高く、遠くーー。

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