9月中旬、新横浜スケートセンターには「本日貸切り」という看板が掛けられていた。観客がいないリンクで黙々と練習していたのは、浅田真央(25)。10月3日のジャパンオープンで1年ぶりの復帰戦を迎えるため、最後の追込みに入っていたのだ。リンクでは、佐藤信夫コーチ(73)がフリー曲『蝶々夫人』を指導していた。
「集中してやらないと、本番で跳べないぞ!」
早朝から続く練習に疲れ切って倒れ込む浅田。だがコーチの叱咤を受けると意を決したように立ち上がり、再びルーティンに入っていた――。
「大会まであとひと月を切ったころ、浅田選手が『最近大会のリンクで滑っている夢を見るんだけど、いつも転倒して終わる』と不安そうに漏らしていたんです。かなりプレッシャーがかかっているみたいです」(フィギュア関係者)
そんな浅田の“復活への迷い”を断ち切ったのは、盟友・高橋大輔(29)だった。
「今春、高橋さんはダンスを勉強するためニューヨークへと渡っていました。しかし8月中旬から約1カ月間、日本に一時帰国していたんです。結局スケジュールが合わず再会は叶いませんでしたが、彼は浅田さんの復帰戦をとても心配していました。だから、彼は浅田選手にメールを送ったそうです」(スポーツ紙記者)
そこには、こんな内容が綴られていたという。
《もうすぐジャパンオープンだね。今はどんな感じ? きみのことだから期待で胸一杯だろうね。真央ならできる! 自分を信じて頑張れ!》
高橋からの「魂の檄メール」を受けて奮い立った浅田。本番を前にして、準備も万端だ。
「すでに練習ではトリプルアクセルを何度も飛んでいて、身体のキレも全盛期に近づいてきているみたいです」(前出・スポーツ紙記者)
小雨が降り注ぐ9月25日、この日は浅田にとって25歳の誕生日だった。しかし、リンクにはやはり「本日貸し切り」の看板が。途中、市内のフラワーショップからのデリバリーが。誕生日祝いだろうか。だがそんな特別な日でも、練習は遅くまで続いた――。