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「弱いときから『いつか絵莉はチャンピオンになる』と言い続けてくれて、期待を裏切りたくない一心でやってきた。本当に感謝しています」

 

女子レスリング48kg級で金メダルを手にした後、登坂絵莉(22)が本誌に語ったのは両親への感謝だった。彼女は五輪直前も本誌へ両親の支えについて語っていた。

 

「父(修さん・52)は『遠征に行きたい』と言ったら、どこにでも連れて行ってくれました。そのかわり『ホテルに泊まるのは無理だよ』と言って、宿泊は移動のワゴン車。富山県に住んでいたので、東京に遠征することになれば車で2泊。帰宅は日曜日の深夜2時になることもありました」

 

試合会場でビデオ撮影をするのは、母・安津子さん(52)の役目だったという。

 

「必ず“その日のうちに”チェックして反省会をするのがウチのルール。遠征で帰るのがどんなに深夜になっても、それは変わりませんでした」

 

父からは「練習は気分でやるな。マットにあがるなら、2時間なら2時間きっちりやれ」と言われてきた。

 

「練習は厳しいから“今日はつらいな”という日もあります。そんなときは父の言葉を思い出し、“その日の全力を出そう”と切り替えるんです」

 

大学進学後、世界レベルにと急成長した彼女は世界選手権を3連覇し、リオ五輪へ。周囲の期待に応えるため身体を追い込み、練習後は全身アイシングするほどだった。

 

吉田沙保里(33)の紹介で、視力回復治療のため『三井メディカルクリニック』に通っていた登坂。ここではオサートレンズという夜間装用レンズを使って視力回復治療を行っているが、三井石根院長は五輪直前の定期検診での“異変”についてこう語る。

 

「リオへ出発直前にレンズの調整に来られたのですが、検査したところ視力が落ちていました 。原因を調べている過程で、彼女が『首が痛くて、前にも横にも痛くて曲がらない』と訴えてきたんです」

 

ドープング検査を受けるため、痛み止めも飲めない。頸椎手術の経験も豊富だった三井さんは、あるものを渡した。

 

「頚椎を固定するネックカラーを勧めました。痛みが解消、就寝中のレンズのずれも補正し視力も回復したと思います」

 

ネックカラーを手に登坂は「絶対金をとってきます」と三井さんに意気込みを語っていたという。ラスト13秒の劇的な逆転劇を演じることができたのは、両親や応援してくれる人への感謝を力にできたからなのだ――。

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