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今シーズン限りで引退することを表明した広島カープの黒田博樹投手(41)。

 

08年に広島からメジャーに挑戦し、5年連続二桁勝利の活躍。昨年にはメジャー球団から受けた年俸20億円のオファーを蹴って、広島へ復帰。お金よりファンを選んだ彼の“男気”は絶賛された。そして復帰2年目の今シーズンは若手投手陣を引っ張って見事、25年ぶりのリーグ優勝を達成。「次は日本一に挑戦!」というなかでの引退表明だけに衝撃が走った。

 

なぜ、いまなのか。その背景には亡き母・靖子さんとのある約束があった。幼少期は大阪市で暮らしていたという黒田。当時を知る地元住民はこう振り返る。

 

「お母さんは高校で体育を教えていて、若いころは砲丸投げでオリンピックの代表候補に選ばれたほど運動神経抜群。博樹くんがお腹にいるときも『腹筋を鍛える』と言って、椅子に座った状態で脚を浮かせながら編み物をしていました。背が高いし、料理上手。性格もさっぱりしていて、みんなの憧れの的でした」

 

平日は高校勤務、土日は夫が営むスポーツ用品店の店番。子育てをしながら、休む間もなく働いていた靖子さん。そんな母が感情を露わにしたことがあったという。

 

「黒田投手は野球名門高校に進学するも、控え止まり。唯一推薦入学のオファーがあった大学は、同好会に近いレベルでした。それでも彼は『楽しく野球ができればいい』と、推薦を受けるつもりでお母さんに相談したそうです。でも返って来た答えは『頼むから家を出ていって』というものでした」(スポーツ紙記者)

 

そこには、息子を信じる母の思いがあったという。

 

「お母さんは『やるなら全力でやること。中途半端なら即やめてしまいなさい』と言っていました。高校ではケガ続きで控えにいた博樹くんの可能性を信じていたからこそ、あえて叱咤激励したのでしょうね」(前出・近所の住民)

 

そんな母の言葉に奮起し、専修大学へ進学した黒田。そこで投手として頭角を現し、広島カープへの入団を果たした。だが入団6年目の02年。彼がまだエースとして活躍する前に、靖子さんはがんのため天国へと旅立ってしまった。

 

その後も母に届けるかのように全力投球を続けてきた黒田。先発して最後まで投げ切るスタイルを貫いた彼は、いつしか“ミスター完投”と呼ばれるようになっていた。

 

「9回を1人で投げきれない体になってしまった」

 

黒田は引退の理由をそう語った。惜しまれながらの見事な引き際は、亡き母の教えのたまものだった――。

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