image

(写真:アフロ)

 

「フィギュア男子の金メダルの行方は、4回転ジャンプを完璧に成功させることがカギ。宇野は、フリーで4回転ジャンプを5回から4回に減らし、確実に成功させることで高得点を狙っています。表彰台のいちばん上をしっかり見据えているのでしょう」

 

そう話してくれたのは、元フィギュアスケート選手で日本人初の世界選手権メダリストの佐野稔さん(62)。平昌五輪フィギュア男子で金メダル候補となった宇野昌磨(20)を語るうえで、欠かせないのが母親の存在だ。

 

「幼いころから、リンクのなかでは、切れ味の鋭いスケーティングと豊かな表現力を見せていましたが、僕らが印象に残っているのは、いつも母の純子さんに叱られて涙を流していた姿です。スケートを始めたころから宇野は練習に身が入らないことがあって。さぼりグセが出ないように、リンクの外から目を光らせていたんです。5歳でスケートを始めて15年、宇野がここまでこられたのも、息子に寄り添うように献身的に支えてきたお母さんの存在があったからです」(スケート関係者)

 

宇野は、IT会社を経営する父・宏樹さん(53)と専業主婦の母・純子さんの長男として、’97年に名古屋市で生まれた。4歳下には弟・樹くん(16)がいる。

 

「宇野がスケートと出合ったのは、自宅近くのスケートリンク『名古屋スポーツセンター』に遊びにいったことがきっかけ。そこに練習を終えた12歳の浅田真央さんがいたのです。真央さんに誘われて、たちまち夢中になり、毎日滑りに行くようになりました」(スポーツ紙記者)

 

まもなく宇野は、伊藤みどりや浅田真央を育てた山田満知子コーチ(74)が指導する「グランプリ東海クラブ」の門をくぐった。

 

「厳しい練習で知られる山田コーチですが、純子さんの指導も負けていませんでした。スケート経験はなくても息子の調子を鋭く見極めていて『ジャンプがいいときとここが違う』とか『タイミングが少しずれている』などと指摘していました」(前出・スケート関係者)

 

小柄な純子さんは、ふだんはファッショナブルでとてもかわいい雰囲気。しかし、息子のスケートのことになると、“もうひとりのコーチ”として熱心に指導した。

 

「熱がこもる純子さんの言葉に昌磨君はメソメソ泣いてしまうんです。ときに山田コーチのところに逃げ込むこともありました。山田コーチも『昌磨のママがいちばん怖い』と笑っていました」(別のスケート関係者)

 

母親との二人三脚で、小学生の宇野は全日本ノービス(ジュニアの下のクラス)で4連覇を達成。ジュニアでも世界選手権に出場するほど成長した。純子さんは、自分の時間を犠牲にしてすべてを宇野に注いだという。

 

「リンクを借り切って行う練習は、一般の人のフリー滑走がない深夜や早朝になることも。その送り迎えだけでなく、名古屋にある安藤美姫さんの祖父が経営する喫茶店でカツカレーを食べさせたり、アイスショーなどのイベントに参加させたりしていました」(前出・別のスケート関係者)

 

純子さんは、宇野を練習場所のリンクへ往復1時間半ほどかけて送迎をするなど、サポートは今も続けている。宇野は「僕がここまでジャンプが跳べるようになったのも、母がガンガン言いながら練習を見てくれたから」と語っている。