「仲間と飲んでいて、深夜に西野に電話をして『カラオケに行くから来いよ』と誘ったら、律義にも奥さんも一緒に来ましたね。2人の子供たちはもう寝た後だったのかな。奥さんは京都の出身なんですが、江戸っ子のようにチャキチャキした性格なんですよ」
と語るのは西野朗監督(63)の1年先輩で高校・大学の7年間、サッカーを共にした元川崎フロンターレ監督の今井敏明さん(63)。西野監督とはお互いの長女同士が同級生だったこともあり、家族ぐるみで交流が続いているという。
「西野の長女に昨年、男の子が産まれたんです。西野もおじいちゃんになったんですよ。彼は昔から冷静。選手時代でも反則はほとんどなかった。日本代表がコロンビアに勝てたのも、そんな彼のいいところが全部出たんじゃないかな」
西野監督はイケメン学生時代からとにかくモテた。早稲田大学ア式蹴球部の同級生はこんな秘話を。
「当時は大学サッカーなんか見向きもされない時代でしたが、西野が入部すると一変。数多くの女性が練習場に集まりました。彼はシルビアに乗って来ていたんですが、帰る度に後部座席に山盛りのプレゼントが置いてありましたね」
早大卒業後は日立に入社した西野監督。美佐子夫人(63)は当時、JALの客室乗務員だった。
「西野先輩が日本代表の遠征で飛行機に乗ったとき、CAとして乗務していたのが奥様。学生時代から面識があったそうで、“機内の再会”から交際が始まったと聞いています」(早大ア式蹴球部後輩)
96年、アトランタ五輪の男子サッカーD組第1戦。西野監督率いる日本代表がブラジルを1対0で下し、“マイアミの奇跡”と語り継がれる伝説をつくった。
「当時の監督は厄年を迎え、苦労続きで白髪が急増。美佐子夫人は連日、現地へFAXを送り、監督を叱咤激励しました。その結果の“奇跡”だったんです」(幼馴染)
この“奇跡”を演じた選手とスタッフは毎年集まるようになる。通称『西野会』だ。Jリーグ選手OB会副会長で、『西野会』幹事を務める松原良香さん(43)は言う。
「西野さんはシャイなんですが、以前カラオケに行ったときは、J-WALKの『何も言えなくて夏』を上手に歌いあげていました」
結成当初は若手だったメンバーも結婚して家族が増え、いまや30名を超える大所帯になった。
「みんな家族連れで集まるんです。西野家は人見知りしている子どもたちにも声をかけて楽しく過ごせる空気をつくってくれます。普段はクールな西野さんも孫の前ではデレッとした表情を見せています」
最後は西野監督が会計をすべて済ませて帰っていくという。今回の初戦勝利で西野家も結束。
「西野監督の奥さんや息子さんも急遽ロシアに応援に駆け付けるようです」(スポーツ紙記者)
最愛の妻の声援を受け、西野監督の“奇跡”が続くことを祈ろう!