「朝、起きたら雄太から『今日、ベンチ入りする』って、メールがあったんです。私は入院中で、試合の放送を見たのは病室でしたが、コートに雄太が立った瞬間は『よっしゃー!』って、大部屋なのに大声を出してしまいました(笑)」

 

現地10月27日、世界最高峰のバスケットボールリーグ・NBAの試合で、メンフィス・グリズリーズ所属の渡邊雄太選手(24)がデビューを飾った。日本人としては、田臥勇太選手に続いて、14年ぶり、2人目の快挙! 香川県の実家で、母の久美さん(57)は、“まだ夢の中にいる感覚”とその喜びを本誌記者に語ってくれた。父の英幸さん(60)も、興奮を隠しきれない。

 

「NBAは、日本人選手にとって“違う惑星”のような、圧倒的な実力差のある遠い舞台ですから。トップチームとの本契約を結ぶことが、次の目標ですかね」

 

渡邊選手がグリズリーズと結んでいるのは、「2ウェイ契約」。ふだんは同じメンフィスに本拠地を置くハッスルという下部チームに所属しており、NBAチームであるグリズリーズから出場選手として呼ばれるのを待つ。

 

規定期間内に、呼ばれた試合での活躍が認められれば、グリズリーズの正式な選手として本契約を結ぶことができる。それは、五輪代表選手たちでもなかなか到達できない、バスケ選手にとっては夢のようなこと。

 

しかしその快挙は、久美さんと英幸さんがいなければ、なしえなかったものだった――。

 

渡邊選手が生まれたのは、’94年10月13日。幼少時代は、将来2メートルを超える体格になるとは想像もつかないような、平均的な身長・体重だったと久美さんは話す。

 

「とにかく人見知りで、泣き虫な子どもでした。父親にさえ、1歳を超えるまで近寄らないし、私がお風呂に入るために雄太のもとを離れるだけで、大泣きでした」

 

バスケとの出合いは、幼稚園入園時。現在の住まいである、香川県に居を移した際、久美さんが、小学生のバスケチームのコーチを依頼されたのがきっかけだ。身長177センチの久美さんも、全日本選抜のキャプテンを務めたこともあるバスケ選手だった。

 

「週に3回の練習には、いつも雄太も一緒でした。まだ小さいから練習に参加できなかったけど、小学校に上がったとき、自分から『ボクもやりたい』と言い出して」(久美さん)

 

バスケを始めると同時に“もっとうまくなりたい”という気持ちが芽生えた。同じく実業団のバスケ選手だった英幸さんも、その思いに応え続けた。

 

本格的な試合が始まるのは小4に進級する10歳ごろから。小6ではエースを務め、チームを県大会優勝まで導いた。バスケへの熱は加速するままに、よき指導者を求めて、隣町の中学校に進学。久美さんが車で送り迎えしていた。

 

「あまり反抗期はなかったです。まだ身長も165センチくらいで、体も細かった。190センチのお父さんに逆らったら、大変なことになるって、わかっていたんでしょうね」(久美さん)

 

そのころ、英幸さんは高知県に単身赴任中だったが、毎週末は決まって、一緒に練習をしていた。3回も4回も連続して、同じようなミスをすると、英幸さんの怒鳴り声が響く。

 

「『惰性で練習するから同じミスをするんや!』って。私は犬の散歩がてら練習に顔を出していましたが、『また怒られて泣いているわ』って(苦笑)」(久美さん)

 

こぼれた涙がボールに染み込むごとに、シュートの精度は上がっていった。

 

「1日、最高で1,000本のシュートを成功させるまで、続けたこともあります。1,000本入れるには、1,300本は打たないと終わらない。4時間くらいかかりました。本当にしんどい練習だったでしょうけど、『こんなことでバスケは嫌いにならないだろう』という確信もありました」(英幸さん)

 

やがて久美さんは、その涙の練習が昇華した瞬間を目の当たりにすることに。

 

「中学3年生の最後の試合。転倒によるけがで、利き腕の左手が使えなかったんです。それなのに、雄太はドリブルもパスも右手でこなして、遠くからのシュートも、右手で軽く放ってキレイに決めたんです。普通じゃそんなことありえない。“大化けするかも”と思いましたね」

 

久美さんの予想は当たっていた。高校は、野球の強豪校で知られる県内の尽誠学園に入学。寮生活のもとバスケに打ち込んだ渡邊選手は高1から頭角を現し、高2、高3で全国大会準優勝に貢献。高校生にして日本代表に選出されるほどの実力者になっていた。

 

身長が2メートル近くまで伸びた渡邊選手のもとには、日本各地の大学から“ラブコール”が集まった。大学卒業後、実業団に入れば、国内で活躍できる選手となるはず。両親はそんな未来予想図を描いていたという。

 

「ところが、雄太が高3のときです。2泊3日で東京の2つの大学を見学に行ったのに、最後の日に、雄太に『どっちにするの?』と聞くと、『お母さん、アメリカの大学に行きたい』って言いだしたんです。英語も全くできないのに」(久美さん)

 

両親は、“夢を追う息子”にひとつだけ条件を出したと話す。

 

「どんなに努力しても、向こうの選手たちにはかなわないかもしれない。挫折したらいつでも戻ってきていいよ、と。ただ、アメリカの大学は、バスケを頑張っているだけでは進級も卒業もさせてくれない。勉強で落第するようなことがあったら、帰ってくるなと話しました。勉強嫌いだった雄太の覚悟をそこで試しましたが、『オレは(勉強も)死ぬ気でやるよ』と即答してくれましたね」(英幸さん)

 

実力が認められ、奨学金で大学に入学した渡邊選手は、バスケと同じ熱量で勉強にも打ち込んだ。

 

「留学中、試合のDVDが送られてくるのが楽しみでした。映像では、コーチに口答えしている姿も。泣き虫でおとなしかった雄太が、自己主張する姿を見て“一皮むけたな”と」(久美さん)

 

そして大学卒業後、その実力がグリズリーズの目に留まり、ついにNBAのコートに。

 

「日本でプレーすれば、安定した選手生活を送れたかも……と思うこともあります。2ウェイ契約のいま、年収は800万円ほど。『日本でプレーするなら1億円もらえるぞ』なんて話が仮にあったとしても、一顧だにせず、いまの道を突き進むでしょうね」(英幸さん)