「世界選手権が終わってからの羽生選手はピリピリムードでしたが、仙台に来てからは終始のびのびした様子でした。家族と一緒に過ごせるのが相当うれしかったのでしょう」(スケート連盟関係者)
4月20日に地元・仙台市で行われたフィギュアスケートモニュメントデザイン発表式に出席した羽生結弦(24)。3月の世界選手権で、惜しくもネイサン・チェン(19)に敗れてから1カ月。発表式で「4回転半を初めて公式試合でキレイに決める人になりたい、というのが今の夢です」と来シーズンへの意欲を見せていた。
故郷に戻った彼は、冒頭のように家族と一緒に穏やかな時間を過ごしていたようだ。
「羽生選手は発表式が終わってから4日間ほど実家に滞在していました。3月に更新した期間限定ブログの中でも『僕はなにもない休日、ゲームをして過ごすことが多いです』と語るほどインドア派の羽生選手。ほとんど家から出ることはなかったそうです。羽生選手がリラックスできるように動いていたのが、彼の両親。帰省中は終始、そのそばを離れることはなかったそうです。スーパーで3時間ほど熱心に買い物をするなど、息子のために奔走していたと聞きました」(前出・スケート連盟関係者)
万全の態勢で献身的に羽生を迎え入れる父と母。そんな実家について、彼はこう語っていた。
《久々に実家に帰ると、父も姉も僕をまるで小さい子供のように可愛がってくれる。スケートの話もあまりせず、みんなでテレビの話題で盛り上がったり、ゲームを楽しんだりしています。時々口ゲンカもします(笑)。実家は僕が“素”に戻れる場所。とても心地よいです》(『マイレピ』16年WEBインタビュー)
そのいっぽうで、羽生は苦悩を抱えていた。ネイサンの台頭や昨年11月から抱える右足首のケガ。来シーズンを前に、大きな壁が彼の前に立ちふさがっている。そんな彼を救うべく、実家では秘密の“家族会議”が開催されていたという。
「人前では決して弱味を見せない羽生選手ですが、世界選手権での敗戦には相当落ち込んでいました。今回の帰省では、連日夜遅くまで今後について家族で話し合っていたそうです」(前出・スケート連盟関係者)
なかでも、大きな支えとなっているのが父・秀利さんだという。
「羽生選手はインタビューで『精神的な柱のように家族を支えてくれてる』と語るように、お父さんに揺るぎない信頼を寄せています。これまでも彼の転機には必ず、秀利さんの存在がありました。たとえば小学生の頃、羽生選手は練習が嫌になってフィギュアをやめようと思ったことがありました。そのときに秀利さんは『嫌ならやめてもいいんだぞ』と投げかけたといいます。強制せず本人の意思を優先した結果、羽生選手は『やっぱりフィギュアが好きだ』と再び競技と向き合う決意を固めたそうです。今回の帰郷でも羽生選手と秀利さんが話す時間もありました。抱えている悩みを打ち明けたことで、今後の糧となったことでしょう」(前出・スケート連盟関係者)
トロントに戻る直前にあった家族との時間が、羽生を再び奮い立たせている――。