(撮影:田村翔/アフロスポーツ) 画像を見る

「結弦にも、ご両親にも、感謝の気持ちしかありません。本当に15年間、楽しい時間を過ごすことができました。誰もが夢見るオリンピックに2度も呼んでいただいた幸せ者です」

 

そう語るのは、8歳のころから羽生結弦(25)のトレーナーをつとめた菊地晃さん(63)だ。ソチと平昌、2度のオリンピックに帯同し、羽生の栄冠を見守ったが、2018-2019年シーズンを前に「チーム結弦」を勇退。15年にわたる師弟関係に一区切りをつけた。

 

羽生にとって初めてのオリンピックとなった2014年のソチ五輪。急きょ、帯同を頼まれた菊地さんにとっても初の大舞台だった。

 

「トレーナーである僕は大失敗の連続でした。いつも、結弦は1日1回練習します。ところが、ソチでは、1日2回ずつリンクを滑っていたのです。テーピングはスケート靴を履くことに毎回巻き直しますから、練習の多い分、日本から持っていったテーピングがまたたく間に不足してしまったんです」

 

ケガの予防や保護のために関節や筋肉に巻くテーピングは、トレーナーにとっては生命線。まさかの事態に、菊地さんはソチ中の薬局やスポーツ店を駆け回り、英語とジェスチャーを交えて、なんとか入手することができたのだが……。

 

「日本スケート連盟の人が『私たちが用意しますから、選手のサポートをお願いします』と言ってくれて。最初に相談しておけばよかったのに、まったくまわりが見えていませんでした」

 

ショートプログラムで世界最高得点を記録した羽生。首位でフリーの演技に挑むことになったが、ここで菊地さんにまたしても焦りが出る。

 

「いてもたってもいられなくなり、テーピングを開始する予定時間よりも40分も早く結弦の部屋に行ってしまったんです。『あれ~、先生、何? ずいぶん早いね』と言われましたが、『失敗すると嫌だから、早めに来た』といい加減なことを言ってね」

 

羽生はジャンプに失敗し、本来の力を出し切れずに終わってしまったが、ライバルの得点が伸びなかったこともあり、金メダルに輝いた。だが、常に完璧な演技を目指す羽生にとって、満足できる結果ではなかった。それは菊地さんも同じ。

 

「自分があいつにいい影響を与えたとはとても思えなかった。一から勉強をし直す必要があると思ったんです」

 

一流アスリートのウォーミングアップについて研究を始めた。痛みをとるのにいいと聞けば、東洋医学からアーユルヴェーダ、タイ古式マッサージ、古代ギリシャのユナニ医学……どんなことでも学ぶようになった。

 

「ソチ五輪後、メディアから取材依頼がきたが、自分の失敗を考えると、みっともなくて受けられなかった」という菊地さん。そんな姿が謎めいて見えたのか、一部のマスコミから「怪しげな整体師」「チャクラの仙人」などと呼ばれ、「羽生を洗脳している」と報じられたことさえあった。でも、そんな雑音は新しい目標の前に気にもならなかった。

 

「ソチのときは何度もテーピングを巻き直しましたが、平昌のときにはつねに一回で完璧な状態で巻き終えられるようになりました。ウォーミングアップも練りに練って、結弦の表情や体の調子をみて、メニューの内容を微妙に変化させるようにもした。でも、あいつがすごいのは、ちょっとでもメニューの時間を変えたりすると、『先生、いつもより長くない?』とわかるんですよ(笑)」

 

完璧な状態で迎えた平昌五輪。羽生の胸には2個目の五輪金メダルがかけられた。しかし、最高の結果をもたらしたにもかかわらず、菊地さんは「チーム結弦」を離れる決意をする。

 

「五輪直後、『先生、これからもよろしくお願いしますね』と結弦は言ってくれました。でも、足を引っ張りたくなかったんです。結弦は最高の演技のために、1分、1秒も狂わないような、完璧なルーティーンを組んでいます。ただ、僕は、それを調整するトレーナーとして年をとり過ぎました。まだまだ進化していくあいつの足をひっぱりたくなかったんです」

 

今年5月、仙台市で行われたアイスショー「ファンタジー・オン・アイス2019」の観客席に菊地さんの姿はあった。羽生が贈ってくれたチケットで、初めて観客の1人として演技を見守った。

 

「本当に素晴らしかった。こんなにすごい選手と一緒に世界で戦えたなんて……結弦には感謝の気持ちしかありません」

 

12月19日、羽生との15年にわたる戦いの日々と、長年の柔道整復師の経験で培ったメソッドをまとめた『強く美しく鍛える30のメソッド』(光文社)を出版した菊地さん。これからは別の形で、羽生を見守っていく。

 

「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載

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