2020年12月末に「よりみち」を訪れた阿部兄妹。左から阿部一二三、森好理江さん、阿部詩(写真:森好理江さん提供) 画像を見る

男子66キロ級の阿部一二三(23)、女子52キロ級の阿部詩(21)は、夏季オリンピック史上初の「兄妹同日金メダル」の快挙を成し遂げた。阿部兄妹が育った神戸市兵庫区の和田岬地区は、工場や造船所が立ち並び、運河に囲まれた地域だ。ここで暮らす人々は、長年にわたって兄妹を見守り、応援してきた。

 

和田岬地区のお好み焼き店「よりみち」は、阿部兄妹が幼いころから親しんだ店のひとつ。地元で阿部兄妹を応援する「よりみち後援会」の事務局長で、この店の店主である森好理江さんは、「阿部さんの家は、おじいちゃんの代からよくウチのお好み焼きを食べに来ていましたよ」と話し、こう続ける。

 

「詩ちゃんは、地元で獲れる明石ダコが入ったお好み焼きや、山芋とろろ焼きをよく好んで食べます。『出来たてが美味しい』言うて、大きくなっても店に来てよく食べてくれます。

 

一二三君は、体重の増減が気になるのかあんまり食べません。いっしょに焼き肉屋さんにいっても、ウチの店と同じように食べないんです。むしろ、私らのほうが食べるくらいなんですよ。

 

兄妹は、幼いころは反対の性格でしたね。小学校の運動会での騎馬戦では、男の子たちは詩ちゃんにまったく敵わなかった。あの子は当時から負けん気が強くて有名やったんです。

 

対照的に、一二三君はおとなしい子でしたよ。詩ちゃんはよくお母さんの愛さんに、おやつを飼うためのお小遣いをよくねだっていたけど、一二三君は『ちょうだい』とは言わへんかったって。今は見るからに元気な感じの男の子やけど、少なくともちっちゃいころはおとなしい子でしたね」

 

阿部兄妹の快挙の陰には、ひとえに両親の物心両面の強い支えがあったという。

 

「毎日のように、柔道場に通う一二三くんや詩ちゃんを送り迎えに行って、試合があれば必ず両親が駆けつけていました。お父さんの浩二さんは消防署に勤めていて、お母さんの愛さんは喫茶店を営んでいました。

 

お父さんが仕事で行けへん日は、お母さんが『ごめんなさいね~、今から子どもを柔道の練習に連れて行かなあかんねん』と言って、店を夕方の4時ころに閉めることもありました。

 

遠方で試合があっても、一二三くんと詩ちゃんをワゴン車に乗せて、試合前日の夜から、お父さんとお母さんが交代で夜通し運転して連れて行ってました。九州や東京にも、ワゴン車で行くんです。子どもらは車で寝られるのですが、運転する両親は大変やったと思います。

 

一度両親に、『体しんどいやろ、新幹線で行ったらええのに』と言ったことがあるんです。すると、『一家の新幹線代を1年に何回もとなると、高くてとてもとても…』と。お父さんは公務員やし、愛さんの喫茶店もけっして大きい店ではありません。ごくごく普通の家庭ですから、遠征の費用をやりくりするのは、経済的にも大変だったはずです」(森さん)

 

森さんは、母の愛さんが兄妹に持たせていたというある料理が印象に残っているという。

 

「愛さんは、試合の時に2人に野菜たっぷりの“ラタトゥイユ”を持たせていました。栄養たっぷりやし、あの子らは減量なんかがあるから、試合前後に食べるのにはぴったりやったんでしょうね。2人とも大好物やったと聞いています。

 

一二三くんが試合の時に履く赤いパンツも、ラタトゥイユと同じ色。彼も赤い色を見ると、燃えてくるから赤を好んでいるんでしょうかね(笑)」

 

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出典元:

WEB女性自身

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