10年、アイスショー出演時の成美さんと羽生 画像を見る

「最初に会ったときは、私が小学校5年生で、ゆづが小学校2年生でした」

 

そう話すのは、今年6月、日本オリンピック委員会(JOC)史上初の“20代理事”に選出された高橋成美さん(29)。フィギュアスケートのペアで活躍した高橋さんは’14年にソチ五輪に出場。’18年に選手を引退し、昨年、女優への転身を発表した。役者業と並行して、コーチとして後輩の育成も行っている。

 

高橋さんと羽生選手は、小学生のころ半年間ほど同じ小学校に通い同じコーチのもと、練習をしていた時期もある仲。当時の思い出を聞いた。

 

「当時から、やっぱり特別な魅力を周りも感じていたと思います。ゆづがリンクで踊りだすと、みんなが一流選手を見るように壁際に寄って。当時はまだダブルジャンプを跳べるぐらいだったんですが、それでも入り込んで演技をするから、人を惹きつけるんですよね。“ザ・カリスマ”でしたね。

 

学校でもそんな感じの印象です。ドッジボールの投げ方ひとつにしても、みんながゆづの投げ方をまねしてるのがわかるんです。本当に人気がありましたね」

 

子供時代らしい次のようなかわいいエピソードも教えてくれた。

 

「ゆづには、やっぱり女の子たちがみんな好意を持っていて、私も一方的に少し好意を持っていた時期がありました(笑)。

 

それでそのころ、はやっている心理ゲームみたいなものがあったんです。四角いメモ帳を好きな相手に『〇を描いて』って渡して、描いてもらった丸の大きさが相手が自分に対して持っている気持ちの大きさだ、っていう。好きだったら大きいし、嫌いだったら小さいし、なんとも思ってなかったら中間だ、って。

 

私もちょっとドキドキしながらゆづに描いてもらったんです。そしたら、何の気もないような、普通の丸だったんです。期待した自分が恥ずかしくなりました(笑)」

 

2人がともに師事していたのは、日本フィギュア界の名伯楽とも称される都築章一郎コーチ。

 

「都築先生のすごいところは、跳べないジャンプを試合に入れたりして、子供たちに転んででも挑戦させるんです。ほかの先生から言わせれば、本番で失敗するイメージがつくからよくないという意見もあるんですが、今のゆづが失敗しても挑戦し続けているとか、限界を定めないというのは、小さいころからの都築先生の教えがあったからだと思っています」

 

ここ数年は、長く羽生選手と会っていないという。

 

「いまは、私が一方的に、ゆづの試合の結果を見て“すごいなぁ。私も頑張ろう”と思わせてもらっています」

 

羽生選手は昨年から今までコロナ禍のなか、国内で1人でトレーニングをしている。選手だった立場からその現状をおもんぱかる。

 

「私だったら、コーチがいない環境で1人で氷に向かうというのは絶対に耐えられないし、逃げちゃうだろうと思います。ただゆづだったら、どうこの状況を乗り越えるんだろうというワクワク感もあります。こんな状況でもみんなを感動させて驚かせるゆづって“神”だなって。私、どの神様よりも、ゆづを神様だと思っています(笑)」

 

東京五輪が終われば、来年2月には北京五輪が待っている。羽生選手も出場の可能性が高い。今後は「JOC側として選手たちの思いに貢献したい」という高橋さん。同世代の戦友のバックアップを受けて、3度目の五輪の氷上に羽生選手が立つ日が来るのが楽しみだ。

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