競技会から離れることを発表した羽生結弦(27)。しかし、その語り口に寂しさや迷いはなく、むしろプロのアスリートという新しい道への期待が伝わってきた。会見で飛び出した名言とともに、羽生の軌跡を写真で振り返るーー。
【’09年】14歳で全日本ジュニア選手権2連覇を達成。3位には11歳の宇野昌磨も。
【’11年】東日本大震災での被災から2カ月後、チャリティ演技会に出演。
《たくさん応援していただけるからこそここにいるんだなって》
【’14年】ソチ五輪では、アジア人初となる男子フィギュア金メダルを獲得。
【’16年】オータムクラシックで、ISU公認大会初の4回転ループを成功。
【’17年】四大陸選手権では、自身初の4本の4回転ジャンプを成功させるも2位に。
《僕にとって羽生結弦という存在は常に重荷です。もう本当にすごく重たいです》
【’18年】平昌五輪で、再び金メダルに。66年ぶりとなる五輪2連覇に輝いた。
《(オリンピックは)自分が夢を追い続けたりとか、頑張り続けた、ある意味それを証明できた場所でもあった》
【’19年】世界選手権で2位に終わり、「負けは死も同然」と己れへの憤りを見せた。
《一つ一つの演技に自分の全体力と全神経を注いで、本当に、ある意味では死力を尽くして頑張りたい》
【’20年】四大陸選手権で初優勝を飾り、男子シングル初のスーパースラムに。
《競技会に対して結果っていうことに対して、取るべきものは取れたなって》
【’22年】北京五輪で跳んだ4回転半ジャンプは、ISU公認大会で初めて認定された。
《何も感じなかったからこそ、何も怖くなかったということがあって、本当に全力を出し切って4回転半に挑むことができた》
そして、羽生結弦はこれからも理想のアスリートであり続ける!
《これからも羽生結弦らしく全力でスケートをするし、全力で努力を続け、全力で結果を求めていきたい》