日本中が熱狂したサッカーW杯に、全試合スタメン出場した鎌田大地(26)。得点こそなかったが、グループリーグ3試合の走行距離はチームトップで、献身的なプレーで勝利に貢献していた。
鎌田はW杯前から欧州での評価が急上昇しているが、2023年6月末で所属チームの契約が切れるため、すでに争奪戦が始まっているという。
そんな鎌田も、プロ入り前までは苦難の連続だった。幼少期から練習を見てきた父親の幹雄さんに話を聞いた。
「中学生の頃が一番辛かったと思います。愛媛の親元を離れて、大阪府岸和田市にある祖父母の家から、片道2時間かけてガンバ大阪ジュニアユースの練習場に通っていました。中学3年間で3回骨折しましたし、イメージ通りの体の動きができなくなる『クラムジー』にも悩まされました。
3年間で身長が150センチから175センチまで25センチぐらい伸びたんです。筋肉や神経の成長かついていけなかったんだと思います。当時、『俺の体はいつになったら思い通りに動いてくれるんや』とポツリとこぼしてたのを覚えています」
そんな時期に、幹雄さんは鎌田から意外な言葉を聞いたという。
「大地が中学2年のときです。サッカーがうまくいかない時期だったので励まそうと、『サッカーの夢を叶えるためにもっとがんばれ!』みたいなことを言いました。すると、大地から『サッカーは手段、夢じゃない』って言い返されました。
いったいどういことかと聞くと『自分がサッカーを続けるために、お父さんやお母さんにすごく迷惑をかけているから、親孝行したい。普通の親孝行でない親孝行がしたい。そのためにはサッカーなんだ』と。
つまりサッカーは、彼にとって、生きる目的ではないんですね。親孝行の手段としてサッカーがあるということでした。
サッカーが終わったら人生が終わるのではなくて、サッカーが終わってもその後に長い人生があるわけですから。自分がどういう人間であるべきか、仲間や家族とどう付き合っていくのか、そういうことのほうがより大切だという考えなんです」
中学時代から実家を出ていた鎌田。それでも、両親の支えは並大抵でなかったようだ。
「練習終わりには、毎日電話しましたし、月に3回くらいは自宅の愛媛から祖父母宅のある大阪まで車で通いました。片道5時間くらいかかりましたが、高速代が安い時代でしたからね(笑)。試合がある時は毎週。私と妻の二人で行く時もあれば、私だけの時もありました。大阪では、サッカーのことも、日常生活のことも、じっくり話をしました」
往復で700キロ運転しての応援とは半端ない。
「いやいや、大変そうにみえるかもしれませんが、私らにとって、週に一回、あるいは2週間に1回、大阪まで行って大地と会うことは、もう楽しみで楽しみでしかなかったんです。直接会って、成長を感じることができるのは、大きな喜びでした」
父親だけではない。鎌田が大阪で暮らすようになった時から、母親は家計を助けるために働きに出るようになった。
自分がサッカーをするために、両親が時間や労力をおしまず、全力でサポートしてくれている。そんな姿をみるにつれ、サッカーが自分の夢ではなく、そんな両親への親孝行の手段という思いに変わっていったのだろう。
今や世界で活躍するプロ選手となった鎌田。今年は両親のために7LDKの一軒家をプレゼントした。なかなかできない親孝行を実現している。
最後に幹雄さんは、息子への感謝の気持ちを語った。
「口だけでなくて、本当に親孝行してくれました。こんなにまで親のことを思ってくれて、ありがたいなって思います」
すでに4年後のW杯を見据えている鎌田。ベスト16の壁を破り、さらに“半端ない”親孝行を見せることはできるのか。