■祖父は大谷がエンゼルス入りする直前に他界
加代子さんは結婚後、神奈川から夫・徹さんの地元・岩手に転居した。大谷が生まれたのは転居後だが、里帰りで子供たちを連れてくることはたびたびあったという。
「翔平くんが小学生くらいのころですかね。加代子さんが“うちの主人と同じように野球やってるんですよ”って、そこの道できょうだいでキャッチボールをしていた翔平くんの姿をよく覚えています。
翔平くんがアメリカに行った年に新人王を取りましたよね。そのとき加代子さんは“これまでいろいろとお世話になりました”と、彼のサインを届けてくれたんですよ。息子があれだけ有名人になっても私たちへの接し方は昔と何一つ変わらず、それが本当にうれしくてね。サインも家宝のように大事にしています」
大谷の祖父について、加代子さんは前出のインタビューでこうも語っていた。
《自分が野球をやっていただけに、男の子がほしかったのでしょう。二番目のわたしも女の子だったので、気がついたら、野球帽と半ズボンという格好で、野球場に足を運んでいました》
だからこそ、祖父は野球を始めた孫・翔平を誰よりもかわいがり目をかけてきたのだろう。大谷はそんな祖父の期待を背負い、同時にその精神も受け継いでいた。前出の近所住人は言う。
「翔平くんはプロ野球選手になって大活躍したから、Aさんの奥さんも近所の世間話で孫自慢くらいしたいはずだったと思うんです。でもAさんは奥さんに“聞かれてもないのに、そんなことペラペラ他人に自慢するもんじゃないですよ。軽はずみなことはよしなさい”と言っていたんです。だからこのあたりに加代子さんの実家があるって、今でもあまり知られていないんですよ」
祖父の“自慢は恥”という教えを守っているからこそ大谷は世界から愛される人柄に育ったようだ。
しかし、そんな大谷のメジャーでの大躍進を見る前に、祖父はこの世を去ってしまった。
「翔平くんがプロ野球選手として日本で活躍したころは元気でしたが、彼がエンゼルスに行く直前に亡くなってしまったんです……。告別式には翔平くんも参列していました。久しぶりに間近で見た翔平くんは見上げるような大きな体になって、若かりしころのAさんにとてもよく似ていました。翔平くんも今の活躍をお祖父さんに見せてあげたかったでしょうね」(前出・近所の住人)
大谷は天国の祖父のためにも、全力で二刀流に挑み続けるーー。